「京都の生協」No.63 2007年8月発行 この号の目次・表紙

障害のある人もない人も、ともにシンクロの楽しさを!
  障害者シンクロナイズドスイミング―それは水と音楽と仲間とともにつくりあげる世界

 京都市障害者スポーツセンター(左京区高野)のプールでは、脳性マヒの人、義肢を装着した人、一見しただけでは障害があるのかどうかわからない人など、いろいろな人が週1回、シンクロナイズドスイミングの練習に取り組んでいます。その指導にあたっている森田美千代さんは、小学校教師として働くかたわら、学生時代のアスリートとしての経験を生かし、「できないことも、練習すれば、きっといつか少しでもできるようになる。水のなかで自由を得る楽しさを、障害の重い人にも味わってほしい」という願いを胸に、障害者シンクロの普及に情熱を注いできました。

 
日本障害者シンクロナイズドスイミング協会
会長
 森田 美千代さん
  京都府生活協同組合連合会
会長理事 小林 智子

障害が重くても、シンクロならできる!
小林  先ほど障害者シンクロの練習を拝見したのですが、練習が終わった後の晴れやかな笑顔が、とても印象的でした。
森田  シンクロは、水中での演技を通して自分を表現するスポーツですから、顔の表情もとても大切です。陸上ではむずかしい動きも、水の特性を利用することで自由にできたりしますから、障害のある方にとっては、解放感があるのではないでしょうか。ほんとうにすばらしい笑顔を見せてくださいます。
小林  じつはわたし、カナヅチなんです(笑)。そんなわたしからすると、泳げるだけでもすごいのに、水中で演技をするなんて尊敬してしまいます。とくに驚いたのは、プールサイドまで車椅子を押してもらって、抱きかかえられてプールに入った方が、水中でひとりで演技されたこと。その姿に圧倒される思いがしました。シンクロは、障害の重い人でもできるんですか。
森田  できます! 障害が重い方でも、工夫しだいです。泳げなければ歩けばいいですし、1人で浮くのがこわければパートナーに支えてもらえばいいのです。視覚に障害がある方には声をかけ、聴覚に障害がある人には肩をトントンたたいて合図をすればいい。そういう工夫をすれば、障害が重い方でも楽しむことができるんです。
小林  水にはすごい力があるんですね。
森田  水中は、温水プールとはいえ冷たいので、体温を奪われまいとするエネルギーが働きます。水圧もあり胸までつかる深いところでは胸をしめつけられるので、それに対抗して息をつよく吸おうとして、呼吸筋もきたえられます。それほど意識してなくても知らない間にそんな力が働いているのです。抵抗も大気中にくらべてはるかに大きいので、歩くだけでも運動になりますし、水に入るだけでも運動になるのです。でも、歩くだけではつまらないですよね。その点、シンクロは音楽や仲間といっしょに作品をつくっていけます。障害の重い人でも、水のなかでは、気持ちも体も自由になって、仲間にも囲まれているから、「楽しい」とおっしゃいますね。

パートナーもチームメイトのひとり
小林  障害者シンクロにはどんな種目があるんですか。
森田  ソロ、デュエット、トリオ、チーム、フリーコンビネーションがあって、ソロ以外、つまり複数で演技する場合は「メンバーの半数以上を障害のある人で構成する」というルールがあります。
小林  そうすると、いっしょに泳ぐパートナーの存在も大事ですね。
森田  障害者シンクロの場合、パートナーはかならずしも障害のない人とはかぎらなくて、障害のある人同士でパートナーになることもあります。障害があってもなくても、大切なのは「シンクロをやりたい」という気持ちです。パートナーは、行為としては「介助」をするかもしれませんが、目的は「介助」ではなく「より美しく演技すること」ですから、サポーターではありません。チームメイトのひとりなんです。
小林  まさにいっしょにつくっていく人なんですね。
森田  そうですね。ですから、重度の障害をもつお子さんとお母さんで構成しているチームでは、お母さんたちはたんに訓練とか介助として水に入るのではなく、演技のパートナーとして参加して、チームの一員として楽しみ、すてきな笑顔で表現しています。



森田
私も生協の組合員なんですよ。キャリアはもう30年ぐらいかな(笑)。利用は主に店舗ですけれど、子育て中は本当に助かりました。


水の力を利用して自分の可能性にチャレンジする
小林  より美しく見せるためには、選曲や振り付けも大切なポイントだと思いますが、障害のある方の場合、とくに振り付けに工夫が求められるのではないでしょうか。
森田 私は学生時代にシンクロの選手だったので、最初は「一つひとつの技を簡単にすればいいやん」ぐらいに軽く考えていたのですが、「技を簡単にする」というのは、じつはとてもむずかしいことなんですね。
小林  というと?
森田  足を上げたり逆立ちしたりするのはむずかしいだろうから、足は上げずに曲げるだけにしようと思っていても、それがむずかしいんです。そこで、「簡単にする」のではなく、「この人には何ができるのか、何ならうまくいくのか、どうしたら水中で自由を獲得できるのか」というように、発想を転換してみたんです。
小林  あくまで演じる人を主体にしようという考え方ですね。
森田  そうすると、「足を上げられない人は、無理に上げなくてもいい。シンクロは、水や音楽や仲間のなかで自分を表現し、一人ひとりの『できないことをできるようになりたい』『できることをふやしたい』という気持ちを大切にして、自分の可能性にチャレンジしていくスポーツなんだ。それを水の力を利用して実現するのがシンクロであって、一糸乱れず演技するだけがシンクロではない」と思うようになりました。
小林  動きは一人ひとり違うんですか。
森田  もちろん、ソロ演技はその人の状態に合わせた振り付けを考えます。でも、複数で演技する場合は、いろいろな障害の人がいて、しかもチームの動きとして美しく見せることが大事なので、「この動きなら、みんながやれるね」とか「右手が上げられない人は左手を上げたらいいし、両手を上げられる人はどちらかに合わせたらいい」というスタンスで創るようにしています。
小林  だれもが楽しめて、しかも美しく見せる。そんなシンクロを追求してこられたんですね。
森田  そういう気持ちで目の前にいる人たちといっしょにシンクロを創っていたら、だんだん広がってきたという感じですね。

障害者シンクロの「甲子園」とよばれる京都
小林  森田さんは学生時代にシンクロの選手をなさっていたというお話でしたが、そのころから障害者シンクロの試みは始まっていたのですか?
森田  いえ、障害者シンクロが始まったのは約25年前ですから、私が社会人になってからです。京都には、「京都障害者スポーツ振興会」というボランティア団体があって、陸上や水泳などさまざまな障害者スポーツを支援していますが、水泳の分野の取り組みのひとつに障害者水泳教室がありました。練習は週1回・3ヵ月で修了でしたから、参加者の方がたから「もっと泳げるようになりたい」「いろいろな泳ぎ方を覚えたい」という声が出てきたんです。それに、ボランティアの側でも「いろいろな障害をもつ方にスポーツの楽しさを味わってほしい」という願いがありましたので、その両方の思いを重ねて、シンクロをしてみようということになったんです。
小林  障害者シンクロの演技が発表されるようになったのはいつごろから?
森田  水泳教室が1982年に始まって、まもなくその卒業生のみなさんとシンクロの練習を始めるようになって、最初は、全京都障害者総合スポーツ大会の水泳大会のエキシビション(公開演技)で発表することを目標にしました。その後もずっと練習をつづけて、1988年の京都国体の年、同じように京都で開催された第24回全国身体障害者スポーツ大会(障害者国体)で、障害がある人とない人のシンクロを発表しました。これは公開演技としては国内で初めてで、おそらく世界でも初めてだろうといわれています。
小林  ということは、京都は障害者シンクロ発祥の地なんですね
森田  そうなんです。その後、少しずつ他府県にも広がりはじめて、もっと交流したいという声が出てくるようになったので、「全国的な交流の場をもちませんか?」と京都から呼びかけました。そして1992年、第1回障害者シンクロナイズドスイミングフェスティバルが、京都で開催されたんです。1回目の参加者は51人でしたが、いまでは300人以上の規模になっています。
小林  フェスティバルは今年で16回目でしたが、開催地は毎年、京都ですか?
森田  はい。6回目以外は、この京都市障害者スポーツセンターのプールが会場ですから、障害者シンクロの世界ではここが高校野球の「甲子園」にあたるんですね(笑)。
小林  今年のフェスティバルは私も拝見しました。観覧席もあふれるような熱気でしたが、あれは「甲子園」の熱さだったんですね。
森田  たとえば知的障害をもって共同作業所に通う長野県の青年は、「京都に来るために」と、一生懸命に働いて、わずかな作業所の賃金のなかから少しずつ貯金をしているんですよ。シンクロは「見せるスポーツ」ですから、全国規模の発表の場があるということはとても励みになるんです。みなさん、「来年も京都に来たい。必ずまた来ます」といってくださるので、その声を励みに、実行委員会としてもできるかぎりのおもてなしをしようとがんばっています。

シンクロが変える家族と生活
小林  お話をうかがっていると、シンクロは障害をもつ人を生き生きさせる力をもっているようですね。
森田  私たちは「より障害の重い人にスポーツの楽しみを」と願っていますが、先ほどお話ししたように、シンクロという種目はその願いを可能にしてくれます。
  それに、お父さんといっしょに水に入る子がいたり、重度の人の場合はご家族が送迎されることも多いので、シンクロに取り組むことがご家族の関係を深める機会になっているご家庭もあります。
小林  長野県の若者のように、シンクロがあるからしっかり働いて貯金もして……というように、生活にハリができますね。
森田  それに健康管理にも関心が出てきます。フェスティバルで発表するためには練習が必要ですから、寒い冬の日も、暑い夏の日も、風邪やケガに負けないように、しっかり食べて体力を維持しようと努力するので、生活の質の向上という点でも効果は大です。私も障害者シンクロをするようになって、あらためて「シンクロってすごい」と思いました(笑)。
小林  森田さんの生活にも変化がありましたか。
森田  小学校の教師になって30年以上になりますが、教師であることと障害者シンクロの指導者であることは、双方に大きなプラスになっていますね。教師としての知識や指導方法はシンクロの指導に生かすことができますし、障害者シンクロにかかわっているからこそ他分野の方がたと出会うことができて、その経験や見聞は教師の仕事のなかで生かせます。私にとって障害者シンクロは、教師としてがんばるエネルギー源になっているのかもしれませんね。

障害者の「ホンモノ」の自立支援へむけて
小林  京都府生協連の一員である京都生協は、障害者の共同作業所の連絡会「きょうされん」と協定を結んで、地域内の生協組合員と共同作業所がしっかりつながり合い、署名やバザーなどのイベントに共同して取り組んでいます。でも、昨年、障害者自立支援法ができた結果、作業所に通えなくなる人が出るなど、かえって障害をもつ方の社会参加が後退しているようで、私たちも残念に思っています。障害者スポーツをめぐる状況はいかがですか。
森田  障害者専用プールという点では、京都市内はこのプール(京都市障害者スポーツセンターのプール)がありますが、府内他地域にはありませんし、民間の一般的なプールは障害者の方にはなかなか使いにくいものです。それに、競泳は1コースあれば練習ができますが、シンクロはプール全面を使う必要があるので、練習用プールを確保するのはたいへんですね。京都のチームは、全面を使っていつも練習できるのですが、他府県のチームはなかなかむずかしいようです。フェスティバル前日にここで練習するのがプール全面を使う初めての体験という人もいらっしゃいます。幸い、私たちはこの施設の職員のみなさんのご厚意にずいぶん助けられていますが、障害者のスポーツ施設をもっと充実させてほしいですね。それに指導者ももっとふえてほしいと思います。
小林  物的にも人的にも、もっと資源を充実させれば、障害者シンクロの人口はもっとふえるでしょうし、それこそ本物の自立支援につながるでしょうね。
  ところで、今後はどんな取り組みを計画されていますか。
森田  昨年はカナダから選手が参加してくれましたので、今後は海外の人たちとも協力して、シンクロの魅力を世界中に広げていきたいと思っています。それと、地元京都府内に水泳、シンクロを楽しむ方がたをふやしていきたいです。
小林  地域でも海外でも、シンクロを楽しむ人がふえてほしいですね。
森田  ほんとうにそう思います。もし「やってみたいわ」という方がいらしたら、遠慮なく「やりたい」と声に出してみてください。けっして「私なんかできないわ」と思わないでほしい。私たちはどこにでも出かけて行ってお手伝いさせてもらおうと思っていますので。
小林  私たち生協は生活者の相互扶助組織として、福祉事業に取り組む一方、共同作業所との連帯や、組合員同士による助け合いの活動として、たとえば視覚に障害のある組合員に商品カタログの内容をテープに録音してお渡しする活動などに取り組んできました。そうした経験を生かして、今後も障害のある人もない人もともに生きる地域のパートナーとして歩んでいきたいと思っています。今日はお忙しいなかをありがとうございました。



森田美千代さんのプロフィール

1953年生まれ、京都市出身
小学生より、シンクロを始める
1976年より、京都市立小学校教諭
日本障害者シンクロナイズドスイミング協会 会長
京都障害者スポーツ振興会 理事


写真撮影・ 有田知行

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京都府生活協同組合連合会連合会