大文字山で出会った、ルリビタキ、御所や二条城などで見つけた春の花たちです。
セツブンソウ、ミツマタ、ロウバイ、サンシュユ(事務局O.T)
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写真は昨日の御池通り。きれいな夕焼けに思わず足を止めて撮りました。
下の写真はお正月明け、戎神社の帰りに団栗橋から北山を見ると虹がかかっていたので...。
今年はこんな日常の京都を発信できたらいいなと思っています。
(事務局H・K)
]]>新年 あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます (事務局一同)
]]>やり残したことはありませんか。
]]>まあでもたった103条しかないのですから、すぐ読めてしまうので、この機会にぜひ読んで知ってみよう。変える変えないはまず知ってからだと思いたちました。
私はテレビや新聞で憲法学者の見解や、自民党草案のことなど目にするのですが、どうも一般庶民にはむつかしい。そこで見つけました。「日本国憲法 大阪おばちゃん語訳」(文藝春秋社)という本です。実際に大学で憲法を教えているテレビなどでもおなじみの谷口真由美さんが著者です。
本の帯の紹介文には「子どものガッコのことから夫婦の生活、働き方、集団的自衛権、そして護憲・改憲問題までをおばちゃん目線で解説!」とあるとおり、字も大きめで全て大阪弁の軽いタッチで書かれていますが、条文1個1個丁寧にわかりやすく、中学生でも十分理解できるように解説されていて、ときどきピリッとスパイスのきいた切り口で書いておられます。本の装丁も大阪おばちゃんを意識して(?)ヒョウ柄ですので、本屋さんの憲法関係の本の棚でひときわ目立っています(^^)
日本国憲法って9条も大切ですが、それだけではない、基本的人権、人が個人として尊重される権利をもっていること、当たり前のことだけどとても大切なことをはじめ、そもそも憲法ってどういった経緯でできたのかも説明してあります。(私はここが結構苦手で知らなかった)
参議院選挙の前にぜひご家族で、友人たちと、まずは国の最高法規である憲法を知るところからはじめてみては。(T.O)
写真は大文字山 火床から見降ろす京都市内6月11日撮影
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府連事務所の近くの住宅街にある、某鰹節屋さんの屋上にはためく「鯉のぼり」。
よく見ると、なんと!「鰹のぼり」でした。
さすが鰹節屋さん、特注品だ!珍しい!と感心して思わず写真を撮りました。
鯉と違い鰹は口が小さいので、絵で口を表現しています。
珍しいものが見られた!と家族にも自慢していましたが、先日見ていたテレビで沖縄県の本部町は鰹漁が盛んで...とナレーションの後に「鰹のぼり」が並んでいる風景が映し出されました。気になったのでネットで調べると、高知県枕崎市でも「鰹のぼり」があげられるそうです。
今年のGWは「鯉のぼり」はほとんど見られませんでしたが、「鰹のぼり」を堪能しました。(2016.5.11 H・K)
しかし、考えてみれば、「継承と創造」あるいは「伝統と革新」というテーマは、たがいに相反するものではない。中村吉右衛門は、歌舞伎にかぎらず「先人の名人上手といわれた方が考えたこと、芸をコピーするだけでもたいへん」で、しかし「それがなくなったら、おしまい」、正倉院の御物の中にあるもののように「どうやってつくったらいいか、わからな」くなってしまうという。伝統を理解し、しっかり身につけてこそ、はじめて自分の芸の精進方向が見え、革新ないし創造が生まれてくるということなのだろう。中村勘三郎、市川団十郎などの名優があいついで亡くなるなかで、先人のマネからはじめることの重要な意味を説く指摘には重いものがある。
「現在をまず否定することから始めよう」という方がおうおうにみられるが、歴史を深く学ぶなかでこそ、われわれがおかれている現在の位置・課題を広いパースペクティブのなかで認識し、未来にむけての方向性をより正確に定めていくことができると考えるべきであろう。
吉右衛門は「命がけで演じれば、それを見て、若手たちも『俺たちももっとやらねば』と思ってくれるのではないか」という。井上ひさしが遺作『組曲虐殺』で小林多喜二に語らせたラストメッセージは、「あとにつづくものを信じて走れ」だった。しっかり「バトンをつないでいく」ための仕事のし方、「中継ランナー」としての生き方には共通のものがある。<写真:皐月の季節>(2013年5月20日、坂本茂)
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2月14日に発表された「声明」は、そもそも『体罰』という用語じたいが不適切で、明確な暴力行為・犯罪行為にほかならないと指弾。現代のスポーツ科学は「スポーツの意義と目的、運動のメカニズムの解明やトレーニングの科学的管理、メンタルマネジメントとサポートといった分野」でさまざまな研究成果を生み出しているとのべ、暴力をふるった指導者は「それ以外の手段に思いいたらなかった」にすぎないと、明快に指摘する。
「声明」は、「何よりも選手個人の人格や尊厳を守ってこそ自立し他者と共生できるスポーツマンが育つ」とのべている。そして「自らがスポーツを行う意義やトレーニング計画の科学的根拠を理解し、練習の目的と方法を吟味し、改善可能な明確な指針を持ってこそ信念を持って厳しいトレーニングに継続して取り組むことができる」と、スポーツの発展には民主主義と科学がかかせないことを強調している。いまだスポーツ界に連綿と存在している戦前体質・封建的風土をきっぱりと断ち切ることがもとめられている。
もっとも「民・科」の必要性は、スポーツの世界にかぎられたことではないが。<写真:京都御苑近衛邸跡>(2013年4月8日、坂本茂)
「エル・システマ」は、貧困層の子どもたちにはびこる麻薬・暴力・犯罪にたいし、音楽の力をもって立ち向かおうという、ベネズエラの国家的プロジェクトだ。バイオリンやチェロなどの楽器は無償で提供され、レッスン料も無料である。過去30年間で100万人の子どもたちが「エル・システマ」に参加し、60以上の子どもオーケストラ、300のユース・オーケストラが設立されるにいたっているという。
快い音色を奏でるための基本・ルール、他者との協同による合奏、練習を重ねることの努力・忍耐、楽器をもってみずから表現できることの喜びなど――銃を楽器に持ち替えるなかで、子どもたちは人生に必要な一つひとつを学んでいく。子どもたちの音楽能力を伸ばすことのみに音楽教育の目的があるのではなく、子どもたちが音楽をつうじて「よりよく生きるための力」をつけていくことに大きな意味づけがある。貧困、閉塞、自暴自棄、人間の尊厳否定の数々、そんな現実のなかでも、いや、そうだからこそ、子どもたちは音楽をつうじて「自由」を追求し、豊かな人間讃歌を奏でる。ボリバル革命を構成する社会政策・青少年教育活動のひとつなのであろう。
2012年もあと何日かを残すのみ。来たる年を「人間連帯のあたらしい取組み」にチャレンジする年にしていきたい。<写真:ニューフェイスがやってきた>(2012年12月17日、坂本茂)
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「木は植える、育てる、使うというサイクルを上手に循環させていけば再生可能な資源」であるという点、そして、「このサイクルを循環させていくことによって森林の持つ多様な機能を高度に発揮させていくことができる」という点は、今日の日本が直面している諸課題にたいして、きわめて重要な視座を提供している。
この間、わたしたちは、どちらかといえば、府県を単位する災害から、より大規模な災害対策、そして東日本大震災を契機にオールジャパン視点からの災害対策へと、「広域災害」をおもな検討対象としてきた面がある。しかし、一方で、「地域災害」「局所災害」が毎年各地で連続して発生していることを考えると、災害対策の見直しはさけられないであろう。
災害の規模・範囲・性質等をふまえながら、市町村レベル、府県レベル、近隣府県の協力によるレベル、オールジャパンのレベル等々、さまざまな想定をもとにしたシミュレーション・重層的な対策の準備をおこなっておくことの必要性を痛感した。<写真:宇治市災害ボランティアセンター>(2012年8月29日、坂本茂)
インターネットで調べてみると、フランス人であるクーベルタン男爵は「L´important,c´est de participer」とのべたらしく、英語では「The importance of these Orympiads is not so much to win ,as to take part」となっている。たしかにparticiperやtake partの日本語訳は「参加」というのが一般的であろう。しかし、「参加」という日本語のもつニュアンス以外のものもふくまれていて、「share in something」=何かを共有する、分かち合うという意味がある。すると、標記のフレーズの直訳は、「勝つことでなく、オリンピックで何かを共有する(ないし、何かを分かち合う)ことに意義がある」となる。日本語としてはこなれたものではないが、こう考えることで、おのずと、その「何かとは何か」に考えがすすむ。それは、なによりオリンピックが開かれること、その場に居合わせることができること、「よりよいもの」をもとめあうことができることであり、それら全体をふくんだ「喜び」であるかもしれない。エチュルバート・タルボット司教の発言は「the Games themselves are better than the race and the prize」であったという。<写真:夏の御苑>(2012年7月31日、坂本茂)
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「節電イコール我慢」としてネガティプ一方でとらえるのでなく、むしろプラス思考でさまざまな視点から考える機会としていきたい。もっとも、これまで「当たり前」と思っていたことに「制限」がかかるというのであれば、マイナス思考で対応せざるをえない「側面」があることは事実としては否めない。
が、今夏の省エネ・節電の取組みについて、これまでの日本のエネルギー政策のあり方を転換していく機会としてポジティブにとらえていくこともあわせて必要だろう。消費者視点からすれば、全国民が電力を消費している利用者・需要者である。電気が何によってもたらされ、いかなる価格体系となっているのか、選択の余地はどの程度あるのか等々について、みずから学び・考え・くらしの工夫や情報の交換をすすめる取組みをつうじて、需要の側から行政や企業サイドにたいし、これまでにない斬新な提案をしていくことは可能であろう。これまでの延長線上でモノゴトを考えてはならないというのが、3.11の最大の教訓のひとつである。電力供給者による「あてがいぶち」の時代はすぎた。<写真:がくあじさい>(2012年7月5日、坂本茂)
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本人はインタビューのなかで「タナからぼたもち」と表現したが、そうではあるまい。1横綱6大関という「豪華番付」のもとでの取組が上位陣のホシのつぶしあいを生み、むしろ平幕に優勝のチャンスが生まれることは、「予想」できた。大相撲協会もシャレたことをしてくれた。旭天鵬の長年の努力に勝利の女神がほほ笑み、その前髪がしっかりとたぐりよせられた(相撲では反則手になるが)。
当会が創立されたのは、1951年6月25日。まだ、戦争の傷跡が残り、復興から高度成長へとむかう時期であった。それから60年。社会も生協も組合員のくらしも大きく変化した。そして2011.3.11――私たちは、戦後最大の災害に直面することとなった。記念式典では、「賀川豊彦と協同組合」というテーマで賀川督明・賀川記念館長から講演があり、賀川豊彦との出会いによって生協運動に生涯をかけてきた当会・横関武顧問によるお話があった。60年は人間にとってみれば、「還暦」。歴史をふりかえり、歴史から何を学ぶか――国際協同組合年の意義を考え、また60年のスパンで物事を考えていく、よい機会となった。<写真:京都府立大学邦楽部による演奏>(2012年3月23日、坂本茂)
フラッと京都御苑まで散歩に出かけました。すると三本松のあたりでカメラを持った人だかりが、
聞くと「アオバト」を待っているのだとか・・・
そうこうして15分くらいすると、にわかにザワめいて、アオバトが高い木からおりてきました。みんな一斉に走る・・・シャッター音の嵐
初めて見ましたが美しいハトでした。10羽くらいいたでしょうか。群れでいっせいにおりてきて、ムクの実をついばみはじめました。
1日に何回か採餌のために地面におりてくるそうです。
京都御苑にこんな風物詩があったなんて、私は初耳。そしてたまたま居合わせて見ることができて、とってもラッキーでした(^^)
カメラマンのみなさん、けっこう待ってられたみたいですから。
「勝手に京都御苑ニュース」でお馴染みのあの川端さんもご存知なかったとか・・・
「アオバト」について調べてみると、神奈川県の大磯町 照ヶ崎の磯に一日に何度か海水を飲みに来るそうで、その数は一日のべ3000羽くらいになることから(全国一数が多い)、
その場所が神奈川県の天然記念物となっています。
2011年京都御苑散策マップ冬号にアオバトの写真が掲載され、今ではすっかり京都御苑の冬の名物となっているそう。
愛知県ではカメラマンが増えて、アオバトが警戒し、地面での採餌時間が短くなっているというネット情報も。
とにかく、子供のころあこがれた小説の「青い鳥」を想像させるとってもきれいなハトを見られて感動しました。
プロ並みのカメラマンにまじってがんばって撮影してくれた連れに感謝!! <2012年3月7日 岡本 朋子>
<すべて岡本博司撮影>
羽を広げると確かに青い
大勢のカメラマンたちが取り囲む
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先日、2月22日は言われていたとおり、猫の日でした。
ところで犬の日はいつかご存知ですか?11月1日だそうです。ペットフード工業会等6団体が1987(昭和62)年に制定。犬の鳴き声「ワン(1)ワン(1)ワン(1)」の語呂合せ。犬についての知識を身につけ、犬をかわいがる日。とあります。
ここまで読んで?と思ったのは私だけでしょうか?11月11日じゃないのです。近くのペットショップは11月11日ワンワンフェアまでしていたのに…。
あくまでも私見ですが11月11日なら「ワンワンワンワン」ではうるさいから?「ワンワン一回休んで ワン」くらいがちょうど良いような気がします(笑)
<2012年2月24日 川端浩子>
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2012年も明けてはや1ヶ月。
カレンダーをめくりながら、時の過ぎるのは年を負うごとに早くなるなあとため息が出てしまいます。
今回はカレンダーにまつわる記念日について。
最近はなんでも記念日になってしまうようです。
つい先日も、1月31日は「愛菜(あいさい)の日」(野菜を愛する日)というので、
あの有名な天才子役 芦田愛菜ちゃんが野菜を食べましょうとアピールしていましたっけ。
産業界をはじめ、ほかの業界でも語呂合わせやコトバ遊びで歴史的背景など関係なく、
今日は〇〇の日と決めてしまう。。。おもしろい兆候ですよね。
例えば11月8日は「いい歯の日」として日本歯科医師会が1993年に設定しています。
歯を大切にいつまでも口の中の健康を保ってほしいという願いが込められているそうです。
それでは毎月22日は何の日でしょう?
答えは「ショートケーキの日」です。さてその理由は・・・
どの月でもいいので、1ヶ月表示のカレンダーを見てみてください。
必ず、どの月でも22日の上は15日です。15「イチゴ」がのっているので22日はショートケーキの日だそうです。
なかなか粋な設定理由ですね。単なる語呂合わせではないところになるほど~と思いました。
同じ22日でも2月22日は2(ニャン)2(ニャン)2(ニャン)の語呂合わせで猫の日だそうですが・・・
お誕生日、結婚記念日などのほかにも自由に遊び心いっぱいの「なんちゃって記念日」を作って、楽しんでみては。。。
(写真はおいしそ~うですが、ケシゴムのケーキたちです)
<2012年2月3日 岡本朋子>
]]>早くも2012年1月下旬となりました。
写真は昨年の1月29日、天橋立にカニを食べに行った時のもの。予定の時刻に京都駅のホームに行くと、なぜか多くの人だかりになってました。誰か有名人でもいるのかと近づいたら、全員が大きくて立派なカメラで列車を一生懸命撮っています。全然分からないけど私もとりあえず撮ってみました(笑)。
後から聞くと、私が乗ったこの183系の「はしだて」は見おさめで、新しい車両に変わるとのこと。
こうして鉄道をカメラで撮る人のことを「撮り鉄」、女性は「鉄子」と言うそうです。楽しい旅の思い出です。
この後、3月11日に東日本大震災が発生したのですが、同じ1年に起こった出来事とは思えないほど、昔の思い出になってしまいました。
今年は辰年。辰年は「昇り竜」といって、竜は天に昇るとされていることから、「上昇の年」になると言う人もいます。
良い年になるよう願いを込めて…今年もよろしくお願いします。
<2012年1月26日川端浩子
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上位4県に共通している事柄がある。それはいずれも日本海側に位置していること、そして東京から離れていること、県人口が100万人前後であること、第1次産業・第2次産業がベースに存在していること、世帯人数が多いこと、犯罪が少ないことなどなど――国民一人ひとりの幸せということを考えるときに、福井・富山・石川・鳥取の各県からたくさんのヒントをいただくことができる。「太平洋ベルト地帯」における「東京一極集中」は米国と一体となった富の効率的形成には寄与するのかもしれないが、一人ひとりの国民がどれだけ幸せ感を味わいながらくらすかということには負の結果をもたらしているといえそうである。上記の報告を否定する県も出てくるだろう。
ときあたかも12月、ブータン国王夫妻が来日した。同国は、GNP(国民総生産)の概念に代わるものとして、GNH(Gross National Happiness 国民総幸福度)の概念を提唱している。GNPの増大は貧困問題、環境問題、文化問題を解決しないばかりか、むしろ深刻化させるという認識が底流にある。そして、GNHは定量的な数値で幸福度をはかるものではなく、政府として国民の幸福を最大にするために何を考え、実行していかなければならないかを検討する概念にほかならないとしている。
若きブータン国王の「心のなかの龍」の話は、つよい印象を残した。今年の干支は辰。みなさまにとって、よい年でありますように。<写真:平安神宮>(2012年1月4日、坂本茂)
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突然ですが、「京都御苑クイズ」です。
Q.京都御苑を散歩中に落し物を発見!この落し物、どこに届けますか?
1、京都御所の建物前にいる皇宮警察の人に届ける。
2、京都御苑の中にある環境省の事務所に届ける。
3、京都御苑を出て一般の交番に届ける。
A.正解は3番!京都御苑外の交番なんです。
これは京都御所や大宮御所など(つまり建物)は宮内庁の管轄。京都御苑(つまり建物以外)は環境省の管轄。落し物は拾得物として警察署に届けなければならないので、外に出て一般の交番のおまわりさんに届けることになるのです。
ちなみに京都迎賓館は内閣府の管轄だそう。
犬と散歩をしていると落し物を見つける頻度も高くなる。特にミニチュアダックス、地を這うような散歩ですから…。落し物を見つけるとわざわざ外に出て届ける羽目になるのです。くれぐれも落し物をされませんように。(2011年2月7日 川端浩子)
2009年もあと3日を残すばかりとなった。あくる1月1日は2010年になるので、1980年代とか1990年代とかいう「くくり」でいうと、この10年は2千「00年代」=ゼロゼロ年代ということになる。しかし、そうした「もじり」をもって、「失われた10年」とか、あるいは、バブル崩壊までさかのぼって「失われた20年」とかいう指摘があるが、10年間に「何も生み出されたもの」がなく「失われたもの」ばかりだったということではけしてなかろう。昨年末のこの欄でも筆者はのべたが、「資本主義」ということに多くの人びとの目がむけられるようになったことが、この10年のなによりの特徴ではなかったか。アメリカ社会が抱え込む多くの諸問題を独特のドキュメント手法で描出してきた映画監督のマイケル・ムーアの新作は『キャピタリズム』。ついに彼は、問題の本質へと「突撃取材」するにいたった。2010年1月から、全国で拡大公開される。はたして反響はいかに。「ゼロゼロ年代」がすぎて、あたらしい歴史が始まることを祈念する。では、みなさん、よいお年を。<写真:歳末の錦市場>
(09年12月28日、坂本茂)
9月19日(土)から23日(水)まで5日間の「シルバーウイーク」。車で出かけなければならない用事があって、早朝に家を出たものの、いつのまにか渋滞がはじまり、しだいに車は動かなくなった。「なぜ、こんな所で……」「なぜ、こんな時間に……」との疑問が生じてから、その先の先、またその先あたりに高速道路の入口があるのではないか、この渋滞は高速道路に乗ろうとするための渋滞ではないかとの結論を出すのにさほど時間はかからなかった。「私は高速道路には乗らないのだけれど」といっても、通用しない状況だ。車は10Kmも20Kmも手前から、生活道路ふくめて、道という道をうめつくしている。いったい高速道路の入口にたどりつくまで何時間かかるというのか。方向転換して、あきらめる車もある。行政には、「ETC高速1000円」の功罪について、検証する義務があるであろう。コトが開始される前に、はたして「リスク評価」はあったのか、「リスクコミュニケーション」はなされたのか――。高速料金が「無料」になったらどんな事態が生ずることになるのか――。車に乗らない人はどう感ずるのか――。立往生する車の列の中で、同じ事柄に思いをめぐらすことをくりかえしていた人が少なくなかったのではないか。<写真:クマさんもあごダルゥー>(09年9月25日 坂本茂)
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梅雨があけて、暑い暑い。 昨年から始めた早朝の速歩40分は、この時期シャツが汗だくになるが、健康と体力維持そして壮快感のため続けています。 2005.07.29 小峰 |
長いあいだ、更新せず、もうしわけございませんでした。本日から、新規開店します。トップページもすっかり模様替えしました。いかがでしょうか。ご感想、いただければ幸いです。「事務局便り」欄も新設しました。週1回の更新が目標です。事務局のリレーでひとこと発信していきます。<写真:クマ 本名は龍皇丸 秋田犬♂> 2005.07.12 坂本 茂 |