「京都の生協」No.103 2021年1月発行 今号の目次

被爆者の声に耳を傾け、〝核なき未来〟を構築する。
── 核兵器の非人道性を語り継ぐ「被爆2世・3世の会」 ──

原爆投下から75年が経過し、広島・長崎の被爆者は14万人を下回りました。平均年齢は83歳、被爆体験の継承が困難になっています。被爆体験と自らの原爆に関わる人生体験を継承し、社会に発信し、核兵器の廃絶・平和な世界実現のために貢献することなどを目的に、京都では「被爆2世・3世の会」が2012年に結成されました。
日本の被爆者の核廃絶の訴えは子や孫に受け継がれ、さらに世界の核実験によるヒバクシャの声と共鳴して、核兵器禁止条約の発効へと導きました。


京都府生活協同組合連合会 会長理事
西島 秀向(にしじま ひでひさ)

京都「被爆2世・3世の会」 世話人代表
平 信行(たいら のぶゆき)さん

  被爆体験を残すのは時間との闘い

西島 『語り継ぐヒロシマ・ナガサキの心』上巻、全521ページを拝読しました。初めて知る内容も多く、心が揺さぶられる思いです。

お読みいただき、ありがとうございます。じつは最初は本にするとは考えていなくて、被爆者の高齢化でその体験が語られないまま消えてしまうことに危機感があり、お一人ずつ取材やインタビューをすることから始めたんです。
その取り組みの途中で「本にしては」とアドバイスをいただき、上下巻に分けて発行することにしたのですが、よもや上巻だけで521ページになるとは想定外でした。

西島 貴重な証言ですから、当然だと思います。
上巻で証言された50人のうち、すでに11人の方が本の完成を待たずに亡くなられたそうですね。

それは本当に痛苦の思いでした。下巻発行にむけて被爆者の方の取材に伺うと、「(下巻は)いつ完成するのですか」と尋ねられることが多いのです。それは自分の余命と本が完成する時期とを推し量るような質問の仕方で、「ああ、本当に待ってくださっているんだなぁ」と実感します。ですから、ご無事なうちにちゃんと届けたいという思いだけは強く持っています。


  後を託された「2世・3世の会」

西島 平さんは、この本の編者である京都「被爆2世・3世の会」の世話人代表をなさっておられますね。どんな想いで会を立ち上げられたのですか。

私自身は、父母とも被爆体験をよく話してくれましたので、その子どもであると自覚しながら育ちました。
大学卒業後は被爆者運動に熱心に関わっていたわけではありませんが、大学生協の職場を定年退職したとき、近所にお住まいの被爆者団体の方から「手伝ってくれないか」と声をかけられ、第二の人生の軸の一つとして関わりを持たせていただくことにしました。
当時、すでに被爆者の高齢化が進み、被爆体験の継承が大きなテーマになっていて、2世に後を託したいという話し合いもされていました。そのタイミングで運動に参加したこともあって、数人の2世の人たちと話し合い、2012年に2世・3世の会を設立したのです。
ところが、会がスタートした時点で、メンバーの半数以上は2世・3世の自覚はあるけれども親の体験は聴いたことがないという状況でした。つまり、親が自分の被爆体験を語っていない。子どもたちが尋ねても語られていない人が多かったのです。

西島 それは思い出すのもつらい体験だからですか。

それがいちばん大きいのではないかと思います。思い出すことや、それを語ること自体が非常につらいので、子どもたちにも語りたくない。私がつらい話だなと思ったのは、親は何も語ってくれなかったが、親戚など周りの人から聞かされて初めて知り、それから親を問い詰めたなどという人もあったという事実です。私たちは、それほど苦しいことだったのだと理解した上で運動を広げなければと思っています。


  2世・3世が背負うもの

西島 被爆者救済や核廃絶の運動を進める上で、2世・3世ならではの難しさはありますか。

そもそも親から被爆体験を聴いておらず自分が2世・3世であることを知らない人と、知っているけれども表に出したくない人もあります。
私たちが広報や宣伝をしても、親から2世・3世であると知らされていない人や、知っていても言いたくない人が結構あるのだろうと思います。
会員は現在、2世が60人、3世が10人です。京都府内の被爆者の方は900人弱ですから、そのことを考えると、その子どもたちだけでも、もっと多いはずです。
私が京都大学生協の職員だった頃、生協の学生委員会を中心に広島・長崎・沖縄などを訪れ戦争と平和を学ぶ「ピース・ナウ」という企画があって、それに参加した京大生のレポートの中に「被爆は遺伝的に影響する」という記述が、京大生協の機関紙に掲載されたことがあります。
それを読んだ2世の学生組合員の方が「遺伝的影響は証明されていない。こんなことを書くから差別されるんだ」と猛烈な抗議をしてこられました。それほど重い荷物を背負って生きている2世もいるのだということが身にしみて感じられて、いまでもよく覚えています。


  被爆者救済の取り組み

西島 被爆から何十年も経った後に手帳を申請する人が多いというのも、被爆者の方がたの状況を反映しているのでしょうか。

手帳を持つことは自らが被爆者であると認めることになるので、就職や結婚などの障害になるのではないかとの懸念から申請を控えていた人が多いと思います。ですから、子育てを終えた後や、高齢になって健康不安を覚えるようになって初めて申請したという人が少なからずおられます。
手帳があると、国の制度で医療費の本人負担分や健診・人間ドックが無料になり、特定の11疾患に罹患すると健康管理手当が支給されますので、いろいろな臓器のがんなどに罹患することが多い被爆者にとっては重要な制度です。

西島 そうした国の支援は、2世も受けられるのですか。

2世・3世は対象外です。ただ、ごく一部の地方自治体が独自施策として、治療費の援助やがんを含む健診料の補助などで2世を援助している例があります。ここ京都府においても支援策を求めたいところです。
国は、被爆者の放射能被害に遺伝的影響は認められていないという見地から2世への支援制度は採らないとしていますが、それは実態とかけ離れており、私たちとは大きな見解の相違があります。これまでも遺伝的影響を認めるべきだという要望を続けてきましたし、今後も運動を続けていきます。


  25万人の声─京都の「ヒバクシャ国際署名」

西島 平さんは、核廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名を大きくひろげる京都の会」の呼びかけ人も務めておられますね。

この署名は、被爆者が呼びかけ人になって訴える署名としては最初で、しかも最後になるだろうと言われてきたものです。
全国では2016年から始まっていましたが、核兵器禁止条約が国連で採択された2017年に、できるだけ広範な人たちと協同して署名を広げようということで京都でも「ひろげる会」を結成しました。 この会に京都府生協連が呼びかけ人として参加してくださったことは、とても大きな力になっています。

西島 生協にとっても、この運動に参加できたことは大きな学びになりましたが、私はこの運動のなかで、被爆3世でこの署名運動の先頭に立っている林田光弘さんの、「自分ごととして捉えられるか。当事者意識を持てるか」という問いかけと、「核廃絶を夢に終わらせない」という決意の言葉が強く印象に残っています。

核兵器禁止条約は国連での採択から3年を要して、ようやく今年10月に50カ国が批准し、2021年1月の発効が決まりました。こういう事態になると「核兵器は必ずなくせる」と確信しますし、林田さんのような若い世代の発言はそういう現在の到達点を反映したものだと実感します。
若い世代という点では、学生のみなさんを前に核兵器の現状やその危険性について話をしたとき、けっこう反応があったのは、地球上に核兵器がどれだけあるかだけではなく、核実験が2000回以上もおこなわれ、その実験場の多くは植民地や先住民居住地が選ばれているという話でした。
初めて知った事実を、驚きをもって受けとめてくださっているという印象でしたから、やはり事実は事実として、歴史を丁寧に学べるようにすることが、特に若い方がたに対していちばん重要な働きかけではないかと思います。


  核兵器禁止条約は人類の未来への希望

西島 核兵器禁止条約の発効決定のニュースは、大きな喜びをもって全国を駆け巡りました。

これは被爆者や世界のさまざまな人たちの努力の結果であり、まずはすばらしいことだと思います。
もう一つ強く思ったのは、50の批准国のうち4割は人口150万未満の小さな国だという点です。ややもすると、それを取り上げて、「核保有国や大国が賛同していない条約に、はたして実効性はあるのか」というような見方も出されますが、私はむしろ、アメリカやロシアなどの大国の圧力をはねのけ、勇気をもって自国の主張を通し、批准を決断した国がこんなに多いことに、人類の将来への希望を見いだすべきではないかと考えています。

西島 それは核実験の多くが小さな国でおこなわれているという、先ほどのお話とも重なるかもしれませんね。

これらの国は、核被害を受け、いまも深刻な状況が続いています。
国連の加盟国が創立時の51カ国から現在の193カ国に増えたのは、それだけ植民地として支配されていた国が減り、国際政治の舵取りを、かつての大国だけでなく、小さな国も対等な立場で担い始めている証拠ですから、国際社会はこれらの国の切実な主張に耳を傾けるべきではないでしょうか。
その意味で、核兵器禁止条約の発効決定に強い感銘を覚えるとともに、これを力にしないといけないと思っています。

西島 まして日本は被爆国ですから、核兵器廃絶を国際社会の先頭に立って求めなければなりませんね。

まったく同感で、日本政府が条約に批准しないのは残念としか言いようがありません。ただ、それが現実ですから、そこを変えていくような市民運動を展開して、批准に向けた世論を形成していかねばと思っています。


  次世代とともに歩む核廃絶運動

西島 そういう世論づくりにおいては、林田さんのような若い世代の存在が心強いですね。
彼はSNSを運動に活用するというアイデアを話していましたが、そういう新しいやり方が被爆者の方がたの想いと結びつけば大きく広がるのではないかと期待しています。

若い人たちの発言や行動はとても頼もしく、私も彼らに大いに期待しています。
ただ、いまの中学や高校の教科書を調べると、たとえばビキニ環礁での水爆実験については第五福竜丸の被曝すら書かない教科書があるんですね。
そういう現実も知った上で、どんなテーマやプログラムがいいのかを若い人たちとよく話し合い、新しい市民運動のあり方を考える必要があります。

西島 若者の参加の少なさは、核廃絶だけでなく他の分野の活動でも指摘されていますが、一方で環境問題や健康・食などのテーマに関心を持つ若者も少なくないので、そうした彼らの価値観や生活スタイルにマッチした取り組みができればと思います。
その意味では、大学生協の果たす役割は大きいと思いますが、生協・協同組合にはどんなことを期待されますか。

ヒバクシャ国際署名で京都の会が集めた25万筆のうち、約12万筆は京都の生協のみなさんが集めてくださいました。
本当に大きな力を発揮していただいて、生協のみなさんのパワーはすごいなとあらためて思ったのですが、ただ大学生協の参加は、署名数も署名行動や講演会などの参加者もそれほど多くなかったというのが率直な思いです。
大学生協の中心は若い人たちですから、先ほどおっしゃったように、彼らがもっと参加できる取り組みが必要ですし、私たちも学生のみなさんと話し合う機会をぜひ持ちたいと思っています。

西島 特に核兵器禁止条約の発効が決定したこの時期にそういう機会が設定できれば、運動に弾みがつきますね。
最後に、核廃絶を求める運動にどんな展望をお持ちですか。

京都でいえば、府内の隅々まで実体のある運動をつくっていくことが課題だと考えています。それが世論を高め、日本政府を動かすことにつながるはずだという展望を持って、コロナ禍などの困難に屈せず、粘り強く訴えていきたいですね。

西島 協力できるところは、ぜひ生協も一緒に取り組みたいと思います。ありがとうございました。



写真撮影・豆塚 猛


プロフィール:平 信行 (たいら のぶゆき)

略歴
1951年4月 広島県に生まれる 両親ともに広島市での被爆者
1974年3月 同志社大学法学部卒業
1974年4月 同志社大学生協に就職
                以後、京都工芸繊維大学生協、京都大学生協、大学生協京都事業連合に勤務し、2011年6月 定年退職
2012年10月 京都「被爆2世・3世の会」を結成 世話人代表
2020年7月 原水爆禁止京都協議会事務局長就任



今回の対談は無鄰菴の母屋の2階をお借りしました。
「無鄰菴」
明治27(1894)年~29(1896)年に造営された明治・大正時代の政治家山縣有朋の別荘。東山を借景とする近代日本庭園の傑作。庭園は施主山縣有朋の指示に基づいて、七代目小川治兵衛により作庭。日露戦争開戦前の明治36(1903)年、外交政策を話し合う「無鄰菴会議」が開かれたことでも有名。昭和26(1951)年、国の名勝に指定。現在は、「庭に集い、庭をはぐくむ」をスローガンに、庭園文化をはぐくむイベントを実施。庭園カフェも営業。
https://www.murin-an.jp
〇入場料:600円(税込み)/人
〇開園時間は、9時より17時(10~3月)/9時より18時(4~9月)

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