「京都の生協」No.106 2022年8月発行 今号の目次

「人間科学」から平和を考える

ロシアによるウクライナ侵攻により、メディアからは日々多くの女性や子どもも含め、民間人がたいへんな被害を受けていることが報道されています。 阪神淡路大震災で注目された心のケアなど、「一人ひとりの『心』の問題と思われていることにも、実は社会や時代が大きく影響しています」と、人間科学を研究されている村本邦子教授は話されます。人が人を助けるとはどういうことか、共に生きるとはについてお話を伺いました。


立命館大学大学院人間科学研究科 教授
村本 邦子 むらもと くにこ さん

京都府生活協同組合連合会
西島 秀向 にしじま ひでひさ

  人間科学研究とは

西島 まず先生の研究テーマである、人間科学研究について教えてください。

村本 人間科学研究とは、ひとことで言ってしまえば、人間を科学しようというものです。自然科学は物をバラバラにして分析しますが、人間をバラバラにして分析しても人間を理解することはできません。統合的な観点から人間を考えていく必要があります。私自身は必ずしも人間科学をやろうと思ったわけではなく、たまたま自分のいるところが人間科学研究科という名称になったということなんですが。とは言え、中学の時に心理学を学ぼうと思い、その理由は人間というものに興味があり、人間についてもっと知りたいと思ったからなので、人間科学を志したというのも間違いではないかもしれないですね。

西島 先生は、中学生のころから心理学に興味を持たれていたのですね。

村本 子どものときから人間というものにすごく興味があったのです。私の母は子どもの頃に東京大空襲で家を焼け出されて、そのときの悲惨な体験談を聞かされて育ちました。一家で移住したため母は2年間くらい小学校に通うことができず、ひどい侮辱や差別も受けました。そんなことがあって私に「あなたは世の中の弱者の味方になりなさい」と言われて育ちました。 そんな母の影響を受け、私は小学校でも中学校でも、クラスでいじめがあったらとにかく割って入るような子どもでした。中学生になっていじめられている男の子を助けると、思春期ですから、ハートマークを書かれたりしました。いじめる人、いじめられる人を見ていると、そこには関係の悪循環があり、どうにかしてそんな悪循環を断ち切ることはできないのだろうかと考えていました。

それからもう一つ、小さい頃、夜こわい夢を見ることがありました。後で思うと母から聞かされた空襲の記憶だったのかもしれません。あるとき、寝る前に「こわい夢を見るかもしれない」と思って寝ると絶対に見ないことに気づきました。こわい夢の存在をすっかり忘れていると、ふっとこわい夢がやってくるのです。その頃、政府の広報で「災害は忘れた頃にやって来る」というCMをやっていて、私は「こわい夢は忘れた頃にやって来る」というポスターを作って天井に貼って寝ることにしました。そうしたら本当にこわい夢から解放されました。闇から目を背け逃げていると、それが追いかけて来る。直視することが大事なのだと学びました。

中学3年のとき、初めて「心理学」という言葉を知り、高校生のときに河合隼雄先生の『ユング心理学入門』に出合って、一人ひとりの人間のなかに影があり、きちんとそれに向き合わなければ外に投影されていじめや虐殺が起こると知り、まさに「これだ!」と思いました。


  個々人の心の問題に、時代や社会の影響が

西島 それで京都大学に進学されたのですね。

村本 河合先生がいらっしゃる京都大学の教育学部に入りました。大学時代は本をたくさん読み、好きなだけ勉強し、自由で楽しかったのですが、大学院に入るとどうにも世界が狭くて窮屈で、修士を終えると、精神科のクリニックで非常勤として働きはじめました。子ども、思春期、大人、たくさんの人たちと会いました。心理学では一人ひとりの心の問題と捉えがちですが、時代を共有するたくさんのケースをいっぺんに見ると、個々人の背景にある社会や時代の影響があるということに気づいていきました。

その頃は、「登校拒否」が話題になっていたのですが(「不登校」という言葉はまだなく)、物があふれすぎて、何でも与えられて育ち、自分の欲求がわからなくなっている子が多いのではないかと思いました。お腹が空いて食べるから、「おいしい」と感じるけれど、お腹が空いていないのに次々と食べ物を出されると食欲は湧かない。私たちの親の世代は戦後のモノがない時代を経験して、子どもに対する愛情の証を物質に求めました。白いご飯、新しい文房具。戦後の日本社会の復興を物質でやってきたことのツケが心の問題として表れてきていたのではないかと。

西島 高度経済成長時代の発展の弊害ですね。


  女性ライフサイクル研究所の活動から、新たな学びへ

村本 その頃、結婚して子どもを2人産んで、子育て仲間ができました。当時は子育て支援なんか必要ないと言われていたのですよ。昔のお母さんたちはたくさんの子どもを育てたけど、家事も全部電化でラクになり、子どもも少ないのに、なんの支援がいるの?というわけです。でも実際はみんな悩んでいた。良いお母さんになりたいという思いにとらわれすぎて、外から見るとおしゃれで元気に見えるお母さんたちが、無理を重ね、そのしわ寄せが暴言や暴力の形で子どもにいっていたのです。

これは「予防臨床心理」が必要だ、と思いました。問題が噴出してから臨床するより、子育て中のお母さんを支援することで、予防できることがあると。それで自宅に仲間を集めて一緒に語り合う会や、勉強会を始めました。これが面白くなって、仕事としてやろうとワンルームを借りたのが「女性ライフサイクル研究所」(※)のはじまりで、1990年のことでした。最初の1年でスタッフが5人になりました。 90年代は女性問題が追い風で、あちこちに女性センターができていって、「女性と仕事」「母親神話」のような話や講演活動などをスタッフと手分けをしてやっていました。 カウンセリングやグループを通じて、女性の悩みや思いを共有していたのですが、虐待や性暴力、DVといった問題が見えてきました。でも、当時、そういった概念は日本にはまだなくて、アメリカからの情報を得ながらどう支援できるのか試行錯誤していました。

1995年の阪神淡路大震災からPTSDや「心のケア」が言われるようになり、90年代後半になると、日本でも、海外からゲストを呼んでトラウマ関連のシンポジウムや講演会などが開かれるようになりました。私自身は十年の試行錯誤でつかんできたものを整理し、まとめたいと思うようになりました。この分野では、ある意味、パイオニアとしてやってきたので、日本の大学でそれを学べるところはありませんでした。

西島 最先端の分野だからこそ、日本では教えてくれるところがないのですね。

村本 留学したかったのですが、子どもはまだ小さいし、どうしようか悩んでいたら、アメリカのユニオン・インスティテュートという、distance learning(ディスタンスラーニング)をやっている大学院を知りました。基本的に日本で勉強しながら、アメリカに行ったり来たりするのです。そこで素晴らしい教育を受け、博士論文を書いてPh.D. (Doctor of Philosophy 博士号)を取りました。学習者中心主義、学際的視点、社会貢献という3つの哲学を掲げ、多様な人々の支援を受けながら主体的な学びを行い、多領域のPh.D候補生たちと宿泊型のセミナーで議論しながら、象牙の塔(大学の研究室などの閉鎖社会)に籠るのではなく、社会貢献できる人材になるという徹底した教育を受けました。

西島 なるほど。そういった方法で新たな学びを実現されたわけですね。

※ 「女性ライフサイクル研究所」https://www.f-lifecycle.com/about/
臨床心理士による女性たちのためのカウンセリングの場(大阪)。1990年10月、「社会にひらかれた心理臨床」を志して女性ライフサイクル研究所が設立されました。設立以来、女性と子どもの視点にたち個人臨床からコミュニティ支援まで取り組んできました。研究所では、女性や子どもが安全に、尊厳をもって生きていける社会を目指して貢献します。(HPより抜粋)


  立命館大学での東日本家族応援プロジェクト

村本 ユニオン・インスティテュートを卒業した2001年に、たまたま立命館大学の応用人間科学研究科がスタートし、教えるようになりました。自分が受けた教育を日本でも実現できたらと思いました。 立命館でやった大きな仕事のひとつは、「東日本・家族応援プロジェクト」だと思います。阪神淡路大震災のとき、1週間後に神戸に入り、毎週ボランティアに通いましたが半年で仕事を終えると、その後は関わらなくなりました。あの時、災害の現場でカウンセリングの形でのボランティアは現場にフィットしないことを学びました。避難所で子ども達と遊ぶ大学生中心のボランティアのなかに入ったのが一番よかったのです。子育て支援やDVシェルターでの親子支援も、悩みを聞くというより、一緒に何かするなかで必要な事案が出てくれば対応するというのが一番効果的でした。

西島 なるほど。わざわざ支援に来ました、ではなくて、一緒にいて寄り添うかたちですね。

村本 それで東日本のときには、「細く長く、10年間、東北に通います。地域の人たちがどんなふうに被災を、生き抜いたか学ばせて頂き、その証人になります」と。理不尽な経験を重ねカウンセリングに来られていた方に、「私がこんなふうに生きていたことを先生だけは忘れないで知っていて欲しい」と言われたことがあります。誰一人自分のことを知らないということほどむごいことがあるでしょうか。たった一人でも自分のことを理解しようとしてくれている人がいるということは力になります。専門家にできることはしれているけれども、それならできると思いました。ウィットネス(目撃者)ですね。こうして被災と復興の証人になることを目指し、東北4県、各地域で楽しいプログラムを一緒にやって交流しながら10年、コロナがあって結局11年続けました。

去年、10年間の各地のエピソードを『周辺からの記憶 三・一一の証人となった十年』という本にまとめました。東北には災厄を生き抜く先祖代々の驚くべき智慧(※)がたくさんありました。民話やお祭り、死者と交流するチャンネルなど。たとえば、ふたつの異なる世界が交じり合う境界領域は汽水域と呼ばれますが、青森のイタコや口寄せなど、東北には生者と死者が出会い対話できる空間があります。岩手県に「風の電話」という死者と話せる電話ボックスがあって有名になりましたが、土地の文化にフィットしたうまい装置だと思います。

最新本『災厄を生きる 物語と土地の力 東日本大震災からコロナ禍まで』では、こうした土地の力について紹介しました。自分たちが都会から行って「助けてあげます」ではなく、その場所に受け入れていただいて、人々がどんなふうに苦難を生き抜いているのか、土着の知(※)に学ばせてもらうという姿勢で入りました。

西島 東日本大震災では生協からも各地へ支援に行ったりするのですが、参加した人は、「支援と思っていたけれど、逆に心を癒されるというか、学ぶことが多かった」と言っていました。

※智慧 物事をありままに把握し、真理を見極める力。
※土着の知 特定の地域における固有の知恵。


  ロシアのウクライナ侵攻について、戦争の影

西島 いまロシアがウクライナに侵攻して、たくさんの方が亡くなられ、女性や子どもが被害を受けていますが、何か思われることはありますか?

村本 長く虐待、DV、性暴力などの問題に関わってきましたが、家族の闇の背後に日本社会の〝戦争の影〟のようなものを感じてきました。 戦地で非人間的な経験を重ねた男性たちは、国に戻り、結婚し、子どもが生まれても家族との親密な関係、やわらかな触れ合いはできなかったのではないか。その歪みが悪い形で出ると家庭内での暴力になる。別の形は、家族に情緒的に近づかないようにする。被害も加害も含め、自分の過去に目を向けないように死ぬまでがむしゃらに働き続けようとした男性たちが焼野原になった日本の戦後の経済復興を支えた。加害兵の証言のなかに「自分の子どもが産まれたとき、子どもの目が見られなかった。戦地であやめた子どもの瞳が焼きついていて」と語っておられる人がいました。闇の部分にも目を向けなければ、闇が襲ってくる。 そんなトラウマが世代間連鎖することもあります。対処されなかったものが次の世代に受け継がれてしまう。戦争が1日でも長く続けばそれだけ心に傷を受ける人が増え、亡くなった人の家族や知人たちの恨みとか怒りがまたさらなる火種になっていきます。修復がどんなに大変なことか想像できるだけに、戦争が一日でも早く終わることを心から願います。

西島 私たちの考えるべきこと、すべきことは何がありますでしょうか。

村本 それぞれの仕方で関心を寄せ続けることだと思います。最近知ってなるほどなと関心したのは、若い人たちがオンラインゲームで海外の人たちとやりとりがあって、ウクライナにもゲーム仲間がいて、ネット上で会話したり、SNSのフォローをしたりしてる(この頃は翻訳ツールも発達していますね)。大きな事は何もできなくても、関心を持って一日も早い平和を願っていることを表現することもできます。ウクライナやロシアの歴史や芸術をあらためて学ぶとか、小さな金額でも寄付をすることができる。最近ではクラウドファンディングなどで支援団体に寄付する方法もありますから、なるべくなら自分の望む形の支援に活かしてくれそうな団体を調べて選ぶといいですね。近くに避難者がきたり、ウクライナやロシアから来た人々がいたら声をかける、できるお手伝いをする。周りの人たちと語り合うことも大事ですね。ウクライナだけでなく、コンゴ、イエメン、ミャンマーなど世界のいろいろなところで戦争が起こっていること、日本が移民や外国人に対してこれまでどんな態度を取ってきたのかなど、視野を広げることも大事ですね。そして、身近なところから平和を作る努力をしましょう。逃げないでちゃんと問題と向き合うこと、話し合いで解決すること、自分が困ったら助けを求め、困っている人がいれば声をかける。世界は複雑だけど、大切なことはシンプルなのではないでしょうか。


  生協について思うこと

西島 最後に生協について、生協は人と人とのつながりを大切にしているのですが、コロナでなかなか人との接触を持てなくなっています。何かいいアドバイスなどありますでしょうか?

村本 私自身も子育て中に生協を始めました。いまは個配で玄関に置いてくれるけれど、その頃は共同購入で、同じマンションに住んでいる人、子育て中の家族と、一緒におしゃべりをしながら品物の仕分けをした。あのシステムはすごくよかったですね。コロナで、私たちはZoomなどのオンラインシステムで、新しい人と人とのつながり方を得たけれど、やはりその場所に一緒に身体を置いて共に過ごすことはすごく重要なことだと思います。東北のプロジェクトでとにかく現地に行ってみて、直接人々と出会うことがどんなに大きな力になるかを学びました。これからも生協には人と人をつなげる存在として期待しています。

西島 期待におこたえできるよう、がんばります。ありがとうございました。



写真撮影・豆塚 猛


プロフィール:村本邦子 Ph.D. (むらもと・くにこ)氏

立命館大学大学院人間科学研究科教授。臨床心理士。
思春期外来の精神科クリニックで心理臨床に携わった後、1990年、女性ライフサイクル研究所を設立、2014年3月まで所長を務める(現在は顧問)。2001年4月より立命館大学教授。2002年、特定非営利活動法人FLC安心とつながりのコミュニティづくりネットワークを設立、代表理事。
『暴力被害と女性 理解・脱出・回復』(昭和堂)、『援助者のための女性学入門』(三学出版)、『臨地の対人援助学 東日本大震災と復興の物語』(共編著、晃洋書房)、『周辺からの記憶 三・一一の証人となった十年』(国書刊行会)、『災厄を生きるー物語と土地の力 東日本大震災からコロナ禍まで』(編著、国書刊行会)ほか著書多数。