「京都の生協」No.107 2023年1月発行 今号の目次

国内唯一の「放ち鵜飼」がはじまった宇治
― 女性鵜匠のチャレンジ!可能にしたのは、人と鵜との信頼関係 ―

夏の夜の風物詩、宇治川の鵜飼。その伝統は古く平安時代にまでさかのぼります。さらに2022年、今では国内唯一となる新たな観光、「放ち鵜飼」がはじまり話題を呼んでいます。前例のなかった鵜飼の鵜「ウミウ」の人工ふ化を成功させ、「放ち鵜飼」を実現させた女性鵜匠、沢木万理子さんにお話をお聞きしました。


宇治市観光協会(鵜匠)
沢木 万理子 さわき まりこ さん

京都府生活協同組合連合会
西島 秀向 にしじま ひでひさ

  宇治の鵜飼の歴史 平安時代からあった鵜飼

西島 最初に宇治の文化、観光、そして鵜飼の歴史などについて教えていただけますか。

沢木 宇治は京都の南部にあり、平等院、宇治川を挟んで対岸に宇治上神社や源氏物語ミュージアムなどがあります。京阪電車宇治駅、JR宇治駅から、徒歩10分~15分で二つの世界遺産が歩いて回れる非常に便利な観光地です。そしてその中心にある川でおこなわれているのが宇治川の鵜飼です。現在、鵜飼は全国で11か所開催されています。中でも、ここ、宇治川の鵜飼は、観光地にありアクセスも非常にいい場所だと思います。宇治はその昔、平安貴族たちの別荘があり、訪れた貴族たちが夜、鵜飼を見た、という記述が、藤原道綱母の『蜻蛉かげろう日記』にも残されています。

西島 1,000年以上昔の平安時代から、宇治では鵜飼がされていたのですね。

沢木 そうなのです。ただ平安後期から鎌倉時代にかけて、仏教の殺生禁断の教えが広まると、鵜飼はすたれていきます。現在の宇治川の鵜飼は、大正時代の終わり頃から観光鵜飼としてはじまったものです。その当時は、かつてこの地で鵜飼をやっていた記録はあるものの、ノウハウが伝わっていなかったので、岐阜県長良川上流の小瀬の鵜匠を招いて指導を受けたそうです。

西島 宇治川の鵜飼は、伝統的な装束、スタイルでおこなわれているものですね。

沢木 長良川や小瀬鵜飼と同じく、夜、かがり火を灯した鵜舟で、鵜匠は風折烏帽子かざおりえぼし腰蓑こしみの、という装束を身に着けて鵜飼をします。この装束は、実は昔の漁師さんたちの服装だったようです。絵本の浦島太郎も同じ格好をしていますね。腰蓑は水よけの雨合羽あまがっぱの役割をします。


  鵜匠になろうと思ったきっかけ 男性現場のなかで

西島 沢木さんは京都では初の女性鵜匠ということですが、鵜匠になろうと思われたのはどのようなきっかけからですか?

沢木 子どもの頃から鳥が好きで、文鳥やセキセイインコなどは飼っていました。学生のときに嵐山の鵜飼を見て、鵜をあやつる鵜匠が格好よくて、やってみたいと憧れるようになりました。

西島 かがり火で、暗闇に浮かび上がる鵜匠の姿はとても幻想的ですものね。それで鵜飼をされている鵜匠に直接、弟子入りしてこの世界に入られたのですか?

沢木 はい。宇治で鵜飼の船を運行をしている宇治川観光通船に、いきなり「鵜飼をやりたいのですが」と連絡したのです。当時の会社代表が鵜匠で、「じゃあ、一回来てみる?」と、すんなりと受け入れてくださいました。「どうせ続かないだろう」と思われたのでしょうね。当時、私は20代後半で、派遣社員として働いて、将来の働き方について思いあぐねていました。それならば子どものときから、鳥にかかわる仕事がしたいと思っていたので、チャレンジしてみようと思いました。

西島 子どもの頃からの夢が実現したのですね。

沢木 運がよかったんですね。でも小さな鳥は自宅で飼ってましたが、鵜のように大きな鳥って大丈夫かな?と思っていたのですが、実際に接してみると、たちまち鵜の虜になりました。

西島 男性ばかりの現場に、初めての女性が飛び込むときには、いろいろと苦労がおありだったと思いますが。

沢木 みなさん本当に快く受け入れ、親切にご指導いただきました。ただ、今から思うと、たしかに、着替える場所がない、トイレがない、そういう不便さはありましたが、それ以上に鵜とのかかわりが楽しくて、鵜飼の仕事をなんとか続けたい!と思いました。

西島 やりたいという情熱が強かったのですね。

沢木 もう、すんなり、男性の間に混じっていましたね(笑)。


  鵜匠としてのやりがい 毎日、鵜と接しているからわかること

西島 鵜匠としてのやりがいを感じておられるのはどういうところですか?

沢木 365日、毎日交代で世話をするのですが、世話そのものがやりがいのひとつですね。毎日接しているからこそわかることがあるというか。9月に鵜飼のシーズンが終わったとき、鵜たちは痩せてしまいます。夏の間、川の中でしっかり魚を獲ってもらうために、シーズンの餌の量は腹八分目に抑えています。するとやっぱり体重は減るし、疲れてもいます。そこで秋から冬にかけてはたくさん餌を与えて、身体を戻してあげる。そうして冬を過ごした鵜たちが、次の年の夏にまた元気でがんばってくれて、鵜飼を観に来て下さったお客様から拍手や歓声が起こると、1年間、育ててよかった、と思います。
鳥が好きなことから、鵜飼を始めましたが、今は、伝統や文化を残していくことの大切さを感じています。


  一組のつがいから卵が生まれた! 国内初のウミウの人工ふ化が成功

西島 さて、国内唯一となる「放ち鵜飼」が、この秋からはじまったそうですが、通常の鵜飼との違いや、なぜ「放ち鵜飼」をすることになったのかについて、お聞かせください。

沢木 「鵜飼」は、鵜を「追い綱」と呼ばれる約4メートルの紐で鵜をつなぎ、鵜匠がそれをあやつるものですが、「放ち鵜飼」はその綱がなく、鵜を自由に泳がせ、魚を獲ったら鵜匠の元に戻ってくるという鵜飼です。島根県益田市の高津川で20年ぐらい前までおこなわれていましたが、最後の鵜匠が亡くなられて以降、国内では途絶えていたものです。

「放ち鵜飼」復活のきっかけは、2014年に一組の鵜のつがいから卵が産まれたことでした。鵜飼の鵜はウミウという種類で、茨城県日立市で野生のウミウを捕獲する方に鵜を捕獲してもらい、各地の鵜匠が慣らして鵜飼に使っています。とても神経質な鳥で、人が飼育する環境下では卵を産まない、と言われていました。ところがある日、鵜小屋に掃除に入ったら、1つの卵が産み落とされていました。すでに落ちて割れていたので、あわてて小屋に巣になる材料を入れて整えてあげたら、そのあとも何個か卵を産んでくれました。ふ卵器を購入し、人工ふ化を試みたら、ヒナがかえったのです。野生のウミウの人工ふ化は、国内初のことでした。

西島 すごいですね。たぶん心のこもったお世話がよかったのでしょうね。

沢木 なにしろ前例がないので、京都市動物園や兵庫県立コウノトリの郷公園、地元のかかりつけ獣医師など、いろいろな方にアドバイスをいただきました。飼育環境はどうするのか、ヒナの餌は何がいいのか、いろいろ調べました。

西島 まさに手探りで努力をされたのですね。

沢木 鵜のヒナは羽毛もなく、首も座らず目も見えない状態で生まれてきます。そのヒナに小さな注射器で、ペースト状にした魚を最初の頃は数グラムずつ、2~3時間おきに与えます。すると1週間ほどで目が見えるようになります。鳥は、初めて見た動くものを親だと認識する習性があるので、私たちを親だと思って育っていきました。

西島 親だと認識しているのは、どういうところでわかるのですか?

沢木 こちらの顔を見て、一生懸命、餌をねだります。よちよち歩きができるようになると、必死で近寄ろうとします。……もしかしたら、この状態で育った鵜なら、「放ち鵜飼」ができるんじゃない?と。この鵜たちならできるかもしれない! 宇治市の協力のもと、観光協会の事業として「放ち鵜飼プロジェクト」がスタートしたのです。
人工ふ化で生まれた鵜は、公募で「ウッティー」と名付けられました。


  「放ち鵜飼」プロジェクトの始動 苦労の連続

西島 その後、プロジェクトはどのように進んでいったのですか。

沢木 数年間は、とにかく人工ふ化で育つ鵜の数を増やそうと、翌年から、どんな条件があれば巣をつくり卵を産むのか、意図的に鵜のカップル化を促し、産卵数を増やしました。卵はデリケートで0・1度単位の温度・湿度の管理が必要でした。当初は有精卵でもふ化率は約2割。なんとかふ化率が上がっても、今度は産まれたヒナがすぐに死んでしまう。生後10日目までの死亡率が高く、この間の飼育技術を身につけました。地元の獣医師との連携を密にして、そういうことを数年間繰り返して、今年も1羽が育って、いまでは12羽の元気なウッティーがいます。

西島 12羽ですか。立派なチームですね。

沢木 そして数年前から「放ち鵜飼」実施に向けた、鵜たちのトレーニングをはじめました。いっぽう「放ち鵜飼プロジェクト」のクラウドファンディングにも取り組み、昨年度は観光庁の「磨き上げ事業」の補助金で実証実験をおこない、いよいよ2022年秋、宇治の観光事業としてスタートしたのです。本来、鵜飼は川でするのですが、川は気象条件に左右されやすいため「宇治放ち鵜飼」は太閤堤跡たいこうづつみあとの池を実施場所に決定しました。観光コースルートにある便利な場所です。人工ふ化のウッティーが生まれてから、7年がかかりました。

西島 すると一番ベテランのウッティーは7歳になっているのですか?

沢木 最初に生まれたウッティーは、その間、夏の鵜飼の鵜としても活躍し、そしてなんと卵を産み、お母さんになりました。人工ふ化二世の子どもたちと、目下、二世代で「放ち鵜飼」に取り組んでいます。

西島 世代継承に成功して、次の世代につないでいけているのですね。素晴らしいですね。

  鵜匠と鵜のかけひき

西島 「鵜飼」と、「放ち鵜飼」では鵜とのかかわり方はどんなところが違いますか。

沢木 鵜飼の場合、鵜の首の付け根のところを首結くびゆいでくくり、その紐の先端を鵜匠が持って、鵜が魚を獲った瞬間や喉の膨らみ具合を見て、手繰り寄せ、鵜を船に上げて魚を吐き出させます。鵜の喉は伸び縮みし、中ぐらいの魚なら5、6匹、喉に溜められます。宇治川の鵜飼は通常、鵜匠が6羽をあやつります。右利きの鵜匠なら左手で6本の綱を持ち、川の流れも計算しながら手繰たぐり寄せます。

西島 綱を引くと、鵜は素直に戻って来るものですか?

沢木 いえ、なかなかです。夏の3か月、その日、出勤する鵜たちを鵜籠に入れて船まで移動しますが、鵜も賢くて、籠に入れられると「あ、今日は鵜飼に出るのだな」とわかるのです。鵜飼の日は鵜飼が終わってから餌をあげるので、「あとで魚がもらえるから鵜飼の間は適当にさぼっておこう」みたいな鵜がいるのです。魚を獲らないで、鵜匠から見えない船のうしろのほうに隠れたりします。一羽一羽をしっかり見て誘導し、獲ったと思ったら必ずすぐに手繰り寄せる必要があります。


  鵜匠との信頼関係が重要

沢木 「放ち鵜飼」は、鵜飼に比べると人との距離は近いですが、呼ぶだけで船に戻るのはさすがに難しく、魚、餌によるトレーニングが必要です。綱はなく、首の根元に首結いの代わりになる輪っかをつけて魚を飲み込めないようにしますが、最初トレーニングの段階では鵜飼と同じように綱をつけ、魚を獲って鵜匠の元に戻ってきたら、綱を緩めて魚がお腹に入るようにしてあげる。それを繰り返すと、船に戻ったら、魚が食べられるのだ、と覚えます。

西島 なんだか子育てに共通していますね。集団プレーみたいなことはしますか?

沢木 しますね。集団の狩りは野生の本能でしょうね。リーダー的な鵜が遠くへ行くと全員がついて行ったり、1羽が水に潜ると、それを合図にみんなが潜ることもあります。魚を追いかけるのが楽しくなって、呼んでも誰も船に戻って来ないときも、リーダーの1羽が鵜匠の元に戻ると、それにならって、みんながダーッと戻って来たりもします。鵜匠とリーダーの信頼関係が大切ですね。

西島 鵜匠とリーダーの信頼関係、リーダーとそのほかの鵜との信頼関係が大切なのですね。ところで、ウッティーたちは、みんなウッティーと呼ばれるようですが、個体の識別が必要な時はどう呼んでいるのですか?

沢木 実は1号、2号とか、私たちだけの独特の識別の呼び方はあります。でも「放ち鵜飼」を見に来られたお客様にも、見分けがついたほうが楽しいでしょうし、背中に赤、黄、緑とかの色ラベルをつけ、色分けした12羽の「ウッティー相関図」をつくりました。それぞれのウッティーの性格(やんちゃ、ビビり)や、関係性(親子、兄弟、片思い、勝手にライバル視、など)が書いてあります。自分のお気に入り、応援したい鵜を、「推しウッティー」として楽しんでもらえれば、と思っています。

  「宇治川の鵜飼」(夏・夜) 「宇治の放ち鵜飼」(春秋・昼)として

西島 今後の事業の展望はどのようにお考えですか?

沢木 「宇治川の鵜飼」は夏の夜の風物詩として定着しています。これは今後も継続していきます。今年からはじめた「宇治放ち鵜飼」は、昼間の鵜飼として、今後は春と秋に開催していく予定です。昼間の鵜飼なので家族連れや小さいお子さんにも来てもらいやすいですし、また夜はどうしても鵜のシルエットしか見えないのですが、昼間は鵜が水の中に潜って魚を獲る姿が見えますので、違った楽しみ方があるかと思います。「放ち鵜飼」が今後、宇治の新しい観光コンテンツのひとつとして定着していくことを願っています。

西島 事業的にも、とてもバランスよく考えられていますね。

  生協について─共同購入の思い出

西島 最後に、生協について、何かご存じのこと、お感じのことなどはありますか?

沢木 私は子どもの頃、アトピーがひどく、特に中学生の頃は食事制限がありました。そんなときにいつも母が共同購入で生協さんから安心して食べられる物をいろいろ工夫して購入してくれて、つらかったあの時期、生協さんにはずいぶんお世話になった印象があります。これからも消費者に安心と安全を届けてもらえたら、と期待しています。

西島 これからもよろしくお願いいたします。本日は貴重なお話をありがとうございました。信頼関係の重要性を改めて感じました。生協も、地域、社会から信頼される組織づくりに今後も励んでまいります。ありがとうございました。



写真撮影・豆塚 猛


プロフィール:沢木万理子 (さわき・まりこ)氏

宇治川の鵜飼・鵜匠。鵜匠歴:21年目。
平成6年嵯峨美術短期大学を卒業。動物と係わる仕事にあこがれ平成14年より宇治川で鵜匠見習いとなる。全国で3人目の女性鵜匠として活躍。平成16年より(公社)宇治市観光協会に所属。女性ならではのしなやかな綱さばきと華麗な技で宇治川の鵜飼に訪れる人々を魅了している。平成20年「京都府あけぼの賞」を受賞。平成26年全国初ウミウの人口ふ化・人工育雛を手がけ、現在12羽のウミウが育っている。

また、国内で途絶えた追い綱(鵜飼の際に鵜匠と鵜を繋ぐ綱)を使用しない「放ち鵜飼」の復活を目指し、放ち鵜飼プロジェクトを立ち上げる。人工ふ化で誕生したウミウの訓練を続け、2018年にはクラウドファンディングによる資金調達を行った。ヒナの飼育に尽力し、全国でも数名しかいない女性鵜匠達の活躍は、多くのメディアで紹介され、宇治川の鵜飼は、京都・宇治の観光振興と地域の活性化に新たな光を当てている。伝統文化の継承とともに、未来に向けた新たな可能性に期待が高まっている。

平成6年 嵯峨美術短期大学卒業
平成14年 鵜匠見習いとして始める
平成15年 (社)宇治市観光協会嘱託職員採用
平成16年 (社)宇治市観光協会職員採用
平成20年 京都府あけぼの賞受賞
平成29年 (一社)日本民俗学会 論文発表
平成30年 生き物文化誌学会 論文発表。京都創造者賞受賞
令和2年 生き物文化誌学会 論文発表。現在に至る