「京都の生協」No.108 2023年4月発行 | ![]() |
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誰もが安心して暮らせるように ― 介護を社会全体で支えようとスタートした介護保険制度、2024年改定に向けた準備がすすんでいます ― |
介護を社会化することを目的に、介護保険法が施行されて今年で23年目。しかし現場では深刻な人材不足などの状態が続いています。そもそも介護保険制度はどういう経過でスタートしたのでしょう。市民参加の理念は機能しているのでしょうか。いま私たちがすべきことは? 立命館大学の特任教授であり、乙訓医療生協の理事長で、学識経験者として自治体の介護保険審議会委員もしておられる佐藤卓利先生に、介護保険のいまについてお話を伺いました。当日は向日市にある国登録有形重要文化財の旧上田家住宅をお借りして対談をおこないました。
![]() 立命館大学経済学部 特任教授 乙訓医療生活協同組合 理事長 |
![]() 京都府生活協同組合連合会 |
アメリカの労働組合史から社会政策、医療・介護問題へ |
![]() 西島 今日はよろしくお願いいたします。先生もこの旧上田家住宅は初めてですか。 佐藤 以前、向日市に住んでいまして、このあたりにもよく散歩に来たのですが、こんなに素晴らしい文化財があることは知りませんでした。今日、拝見させていただけてよかったです。 西島 先生は介護保険が始まる前から自治体の審議会委員を務められ、医療・福祉関係者や地域住民、行政関係者と関わってこられましたが、どういったご研究をしてこられたのですか。 佐藤 大学院での修士論文のテーマは「アメリカ自動車産業労働組合成立史―1920年代・30年代の研究」でした。 西島 1920年代・30年代というのは、どんな時代ですか? 佐藤 世界史的にみると大戦間期と言って、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期ですね。大英帝国に代わりアメリカが事実上、世界のトップになっていく転換期でもあります。都市化と大量生産・大量消費の、いわゆる「アメリカ的生活様式」の基礎がつくられた時代。日本が敗戦後の高度成長期に取り入れたモデルがつくられた時代ですね。 西島 一家に一台、自動車を、フォードT型モデルを、ですね。 佐藤 そうです。そんな研究をしていたのですが、大学院を出て最初に赴任したのが広島女学院大学で担当は生活経済論でした。バブル真っ盛りの頃です。そこでアメリカの過去よりも、日本のいまの暮らしにどんな課題があるのか、生活の豊かさの観点から社会保障の状況はどうなのか? そういった講義をしていったのです。その後、1年間イギリスに留学する機会をいただき、イギリスから日本に戻って来た1990年代はちょうど高齢化に対応して介護問題が切実になっていた時代でした。介護保険制度がまさに準備されようと動いていく時代です。私も広島で医療・福祉関係の人たちと一緒に勉強する機会を得て、90年代からは主に医療・介護問題を中心に研究分野を広げていくことになりました。 |
介護保険のスタートと制度的問題 |
![]() 西島 介護保険とのかかわりについてお聞かせください。 佐藤 かつて「介護」とは個々の家庭が抱えているもので、社会的な問題と意識されることは少なかったと思います。人々が高齢者介護の問題を知ったのは有吉佐和子原作の映画『恍惚の人』(1973年)くらいからじゃないですかね。それが日本社会全体の高齢化と共に、1980年代後半から状況が大きく変化していきます。 西島 そして介護保険がスタートするのが2000年ですね。 佐藤 自治体ではその2年くらい前から準備段階に入っていました。「各市町村で介護保険事業計画を作成し、3年ごとにつくりかえなさい。厚生労働省(当時は厚生省)は基本設計は描くけど、それを具体化する介護保険の保険者、運営の責任は各市町村ですよ」と。 介護保険の一つの特徴は、市民運動の反映で、お役所が一方的に決めるのではなく市民参加の策定委員会をつくって、医療・介護の関係者、サービスを受ける住民、被保険者もそこに加わるという設計の制度です。私は一応、学識経験者という立場で、向日市と草津市でも審議会の委員になりました。 西島 大枠の市民参加というのは、いい仕組みですね。 佐藤 市民・利用者もその運営にかかわるという考え方は良かったのですが、実際の運営には多くの問題があったのです。まず保険制度の大きな限界は、利用があくまでも保険料を払っている人だけに限られるということです。 介護保険の以前にも公的な介護の制度はありました。それは老人福祉法に基づいて、介護が必要な高齢者を施設に入所させたり、ホームヘルパーを派遣したりするものでした。入所の判断は行政がおこない、所得に応じて利用者の負担が違っていました。財源は税金で責任は行政です。しかしこれは身よりのないお年寄りや生活に困窮している高齢者の利用が優先され、家族がいて所得のある高齢者は、事実上使えない、と「高齢社会をよくする女性の会」などの市民団体が厳しく批判したわけです。 じゃあ一般の市民はどうしていたかというと、一つは家族が抱え込むわけです。もう一つは、介護が必要になる原因はたいてい病気かケガですから、病院に入院します。そして病院での治療が必要なくなってからも入院を続けざるを得ない患者が増えていった。入院の長期化です。家族にとっては、病院にいれば直接の介護の負担は軽減されます。かつ費用の大半は医療保険がカバーしてくれます。問題はどこにあるか?というと、医療費が年々増え続けることです。医療費の増大に伴って医療保険の保険料と税の負担も年々増え続けました。厚生労働省が介護保険に真剣に取り組んだもう一つの理由は、高齢者介護を社会的に支えるという理念とは別に、財源問題だったと思います。医療費がそのままだと膨らみ続けるから、医療と介護を切り離そうとしたのです。 介護の社会化は介護保険でなくても、福祉の制度を充実させることで公的責任の介護サービスを実施することもできたのですが、最終的には介護保険になりました。 西島 結局は、財源の問題ですか? 佐藤 それと、当時、多くの人にとって介護問題はまだ他人事だったのだと思いますね。税金だと何に使われるかわからないけど、自分が払った保険料が介護に使われるほうが賛成しやすいだろう、それに保険料を払っていたらいざという時には自分も介護サービスが受けられますよ、ということが強調されましたね。 |
介護保険に関心を! 審議会へ参加・傍聴を! |
![]() 佐藤 ところで、各自治体の介護保険の計画はどこで決められているかご存じですか? 西島 介護保険審議会ですか? 佐藤 自治体のホームページにアクセスすると各審議会の一覧があり、介護保険事業計画策定委員会というような名称の審議会が、介護保険の計画を作成し実施しチェックすることになっているとわかります。さらにどこの市町村でも、この審議会には住民代表としての委員の公募があり、参加することができるのです。会議は傍聴が可能です。審議会が開かれると議事録が作成され公開されます。でも傍聴者はほぼゼロです。ほとんどの市町村でもそうだと思います。1人、2人はだいたい議員です。市民参加と理念は立派ですが、現実にはほとんどの人は知らされていないし、知らない。関わる機会もほとんどないです。それではいつ関わるかというと、私たちの世代だと、自分たちの親の介護が必要になった時でしょうね。 西島 やっぱり、自分事にならないとなかなか関心がもてないわけですね。 佐藤 そうなって慌てて市の窓口に相談に行くと、「地域包括支援センターへ」と言われます。親が入院している病院からは、「いついつまでに、退院してください」と言われます。そこで介護保険の申請をしましょう、ケアマネジャーに頼んでケアプランをつくりましょう。で、ケアマネジャーってどこにいるの? となるわけです。 西島 多分、そういう流れになると思いますね。 佐藤 市はリストをくれます。「ここがいい」とは言いません。「このなかから自分で選んでください」と。選ぶ基準は? せいぜい地域の知り合いからの情報を参考にするぐらいですね。地域に何かしら人とのつながりがあればいいのですが。 西島 生協に入っていたら生協の仲間に聞こう、となりますが、つながりがなければ困るでしょうね。 |
自助・共助・公助 |
![]() 佐藤 介護保険ができて十数年が経ったところで、厚生労働省から「地域包括ケアシステム」という考え方が出されました。介護保険だけでは十分な介護は受けられません。介護保険という枠のなかでしか供給できないし、絶対量が足りません。制度と制度の隙間を埋めるようなものが必要です、というわけです。 同時に厚生労働省は「自助・共助・公助」という考え方を示しました。まずは自分でできることをやりましょう。それでできないことは近所で助け合いましょう。遠慮せず「助けて」と言える環境をつくりましょう。では公助は? それは最後のどうしようもない時です、というわけです。 本来は生存権の保障、人間らしく生きる権利を国民一人ひとりに保障する。その立場から介護・医療を考えるべきなのですね。そのことと自分たちができる範囲で助け合いをすることは矛盾することではないはずです。けれど順番が決められています。まず自助でということですね。この考え方は、多くの日本人に浸透しています。これを変えていく必要がありますが、なかなか難しい。 西島 すぐに人に頼ってはダメ、まずは自分で努力しなさい、みたいな文化がありますからね。 佐藤 日本社会では何か権利を主張すると、「あいつは変わったヤツだ」と見られがちです。でもこれからの高齢社会は、これまでの生活スタイルや考え方を変えていかなければ、高齢者を含めたすべての人が生きやすい社会は実現しない、と思います。 |
人材確保問題─介護労働者の評価が低い理由 |
![]() 西島 介護現場ではいま、人材不足がまったなしの状態になっていますがこれについては。 佐藤 介護はもともと家族がやっていた無償の労働でした。それが介護保険という制度がつくられて介護が社会化され、労働者の「仕事」としてサービスを提供するようになりました。ところが、誰にでもできる、という誤解があって、介護の仕事をする人たちの社会的評価や経済的評価が低い。給料が低いだけでなく、労働条件も大変厳しい。そのためにいま介護の現場はどこも人材不足です。 私が暮らしている滋賀県では、草津市・栗東市・守山市・野洲市の湖南4市で介護事業を展開する事業者が集まって介護人材確保について考える協議会をつくっています。そこに各市の介護保険担当の職員も加わって、介護人材確保のための取組みを進めています。介護人材の確保は個々の事業者単位の努力だけでは進みません。ともすると人材の取り合いになります。人材を定着させるために、いい経験に学び、どうやって育てるか。行政を巻き込み、住民も巻き込んで、その地域の共通課題として介護人材を育成して確保しようという動きが始まったところです。 みなさんもぜひ自分の市町村では今度はいつ審議会があるのかホームページで調べて、みんなで傍聴に行ってみてください。そして市民委員の公募があったら手を挙げて積極的に参加してください。 |
2024年介護保険制度の改正 |
![]() 西島 2000年に施行された介護保険法ですが、3年に1度、法改正が実施されています。2024年に改正される内容が論議を呼んでいますね。具体的にはどのようなところが課題なのでしょうか? 佐藤 昨年12月20日に厚生労働省の社会保障審議会介護保険部会が、「介護保険制度の見直しに関する意見」を発表しました。そこで2024年度の改正に向けての論点が示されました。この「意見」は、厚生労働省のホームページからダウンロードできます。40ページ余りの大部なもので、読むのもなかなか大変かもしれませんが、ぜひ目を通していただきたいと思います。 いくつもの論点が提起されていますが、わたしが注目するのは「給付と負担」という項目で、高齢者の負担能力に応じた負担の見直し、制度間の公平性や均衡等を踏まえた給付内容の見直しが述べられています。それぞれ「見直しに慎重な立場から」の意見と「見直しに積極的な立場から」の意見の両論が併記されています。被保険者であり介護サービスの利用者でもある、また保険料の負担者であり納税者でもある国民は「負担と給付」についてしっかり考え、もっと大きな声を上げるべきではないでしょうか。それには何よりも「見直し」の内容を具体的に知ることですが、時間がないので詳しい説明は省くとして、どうやらこのままでは、保険料の引き上げ、利用者負担の引き上げがなされそうです。 2024年度に第9期の介護保険事業計画が実施されますが、前年度の今年4月から各市町村では、第9期計画策定のための審議会が開催されます。ぜひ審議会を傍聴されて、各委員がどのような発言をするのかチェックし、また審議会とは別の機会にでも、分からないことは遠慮なく行政の担当者に聞いてほしいと思います。おそらくその対応の仕方や回答の内容によって、お住いの市町村の力量が分かるのではないかと思います。 市町村は、介護保険の保険者である前に住民の暮らしを守る基礎自治体なのですから、市町村に自分たちの暮らしの課題を投げかけるとともに、より良い介護保険制度の実現のために国に対して住民の暮らしを守る立場から意見を上げるよう促すことも必要かと思います。 |
生協の課題 |
西島 今日のお話にもありましたように生協は人と人とのつながりが基本ですが、生協全般について、何か感じておられることはありますか? 佐藤 乙訓医療生協の理事長としての私が取り組みたいと思っているのは、協同組合間協同の促進ですね。購買生協、高齢者生協と、私たち医療生協は、医療・介護で重なっている事業の部分があります。日常的な交流をもっと深めて、事業として一緒にやれること、運動や活動として一緒にやれることを検討する。テーマに沿ったアイデアを出し合ってみる。そんなことができればと思っています。コロナ禍も3年が過ぎ、いつまでも活動を制限するわけにはいきませんので今年度は組合間の交流ができればいいなと思っています。 西島 京都府生協連としてもぜひ積極的に受け止めて、つながりの場を持つなどしていきたいと思います。今日はありがとうございました。 |
写真撮影・豆塚 猛 |
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