「京都の生協」No.48 2003年4月発行 この号の目次・表紙

ネットワークナウ 対談
季節の感覚を共有し、ともに味わう―それが冷泉家の和歌
大切にしたいのは、歴史あるまちの良識ある市民として暮らすこと

21世紀 にはばたく京都の生協
桃の節句といえば、いまや3月3日が一般的だが、京都では旧暦で祝う家が多く、菱形ゼリーを4月初めにも扱ってほしいというリクエストが多い。かの藤原俊成・定家を始祖に持ち、和歌と平安貴族の伝統を守り続けてきた冷泉家もほとんどの行事を旧暦で執り行う。冷泉貴実子さんは、旧暦の方が季節感が合致して、自然なのだと語る。旧暦は本当に「古い」のか?伝統の中に生きながら、「血」に頼らず、「財団法人」という形式を自在に取り込む冷泉家がありようが、いま新鮮に映るのはなぜなのか?そんな疑問を胸に、現存する唯一の公家屋敷を訪ねた。

京都府生活協同組合連合会副会長
(京都生協理事長)
 小林智子さん
(財)冷泉家時雨亭文庫事務局長
冷泉貴実子さん


守り抜くことの重み、苦しみ
小林  これだけのお屋敷を維持なさるには大変なご苦労がおありでしょうね。
冷泉   まずお金の工面ですね(笑)。家の解体修理が終わったのですが、その費用が大変だったんです。重要文化財に指定されている部分でも、助成されるのは工事費用の4分の3のみで、残りの4分の1は財団が工面しなければなりませんんし、重文指定外の部分の工事に関しては補助金は一切出ません。ですから「冷泉家の至宝展」をさせていただいたのも、実はその資金集めというねらいがあったんです。
小林  そうだったんですか。それは私たちには窺い知れない悩みですね。
冷泉  もちろん、私どもが保存していたものをたくさんの方々にごらんになっていただきたいという思いもございましたけれど、お金集めもかなり意識していましたね(笑)。
小林  あの展覧会はとても話題になって、多くの人が観ました。
冷泉  ほんとうに!初日の人並みを見たときは、うれしかったですね。あの展覧会はスポンサー探しの段階から難航したんですよ。いくつかの新聞社にお願いしたのですが、「ゴッホやセザンヌは客が入るが、和モノはだめ」と断られ、結局、NHKが引き受けてくださった。私どもは、展覧会収入を改修工事の費用を捻出しようと思っていましたから、「赤字だったらどうしよう」と、開催する直前まで心配で、心配で、そのプレッシャーたるやもう・・・(笑)。

冷泉家は「一流の二流」?
小林  貴重な書物や調度品などが収められた御文庫は、冷泉家にとって神様のように大切な場所で、いまでもご当主しか入れないそうですね。
冷泉  ・・・と言うと何かとても特別なものに聞こえますが、わかりやすく申しますと、「家元」という名の特許を守るために、「家元」である当主しか入れなかった蔵、それが御文庫なんです。
小林  ご当主が家元・・・ですか。
冷泉

 ええ、家元制度の始まりは、私どもではなかったとか、私は常々思っているんですよ。つまりね、江戸時代の頃、政治の実権は幕府が握り、朝廷は古くから伝わる年中行事を執り行うことを主な仕事としましたがやがてそれぞれの行事を、担う家がプロ化していきます。たとえば飛鳥井家は蹴鞠、山科家は装束や衣紋、三条家は琵琶・・・というふうに。そして、明日は宮中で蹴鞠だとなると、公家たちは飛鳥井家に蹴鞠を習いに行くわけです。当時、宮中を囲むこの辺りは公家屋敷が立ち並んでいましたから、そうやって行き来しながらお互いに教えあっていたのです。

  それぞれの道に関する公家たちの知識や技術は、いわば当時の権威であって、朝廷外の人々の憧れを集め、上方文化の礎ともなって、武士から町民へとつたわっていきます。そしてそうした文化に憧れを抱いた人たちが門下に入ってきて、しだいに公家の当主は人々に伝来の知識や技術を伝える「家元」のようになっていきました。さしずめ冷泉の家は歌道の家元になったのです。

 でも、家元の認証制度もありませんので、「家元」 が「家元」であるためには、何か特別な「装置」が必要です。それは冷泉家においては「典籍(書物)や御神体を納めた御文庫には当主以外入ってはならぬ」という決まりであり、限られた人だけに歌の解釈を伝える「古今伝授」でした。

 お料理屋さんは秘伝の味を、昨日入ったようなアルバイトには決して教えないし、場合によっては板長さんしか知らないお店もありますでしょ?あれと同じようなものだと考えてくださればよろしいですね。

小林  なるほど、よくわかりました(笑)。その「家元」としてのお仕事ですが、具体的にはどんなことを?
冷泉

 冷泉家に伝来する典籍、建物、和歌を基本とする年中行事、この3つの保存と継承です。この仕事はとても個人では支えきれませんので、1981年(昭和58年)に財団法人冷泉家時雨亭文庫を設立しました。財団の活動で最も大事なのは典籍の保存と公開です。今年は国宝が1つ、重要文化財が2つ増える予定ですので、それにかかわる国の指定調査が非常に大きな仕事ですし、典籍も非常に古く傷みの激しいものですから、なかなか現物をみなさんに見ていただくわけにはまいりません。そこで白紙の部分も1ページ残さず写真に撮り、「冷泉家時雨亭叢書」として50巻以上も刊行を続けています。

小林  現在の25代目ご当主・為人さんは、「冷泉の家が800年も続いたのは『一流の二流』だったからだ」と、おもしろいことをおっしゃっていますね。
冷泉

 冷泉の家はあまり偉くなかったということです(笑)。先祖の藤原俊成卿や定家卿は天才スターですが、その後は天才も出ない代わりに、蔵のものを売り飛ばすような悪人も出ず、冷泉家の人々は和歌ひとすじに生きました。それがよかったんですね。

  振り返れば800年の間には戦乱・飢饉・火事などに何度も遭いましたが、それは冷泉家だけのことではありません。どこのお家にもご先祖があり、いま生きているということは、つまり過去があるのです。冷泉の家が800年も続いたことも、たしかに「えらいことやなぁ」とは思いますが、それは代々の人が「いま」を一生懸命生きてこられた証であって、それこそが大事なことやと思います。


同じ季節の感覚を共有する冷泉家の和歌
小林  さて、いよいよ和歌について伺います(笑)。冷泉家では夏の間、毎日一題ずつ詠む「夏百首」とか、1日に百首詠む「一夜百首」をなさると伺いました。そんなにたくさんのお歌をつくるのは苦行ではありませんか(笑)。
冷泉

 現代短歌、つまり正岡子規以降の短歌は、自我の表現をめざす文学の1ジャンルですが、冷泉の和歌はそれとはまったく違います。現代短歌が「あなたと私は違う」ということを表現するものだとすれば、冷泉の和歌は「私とあなたは同じ」ということを表現するものでしょうか。

 たとえばお正月はおめでたいので、新年の歌会では「初春のよろこび」を、「鶯」「梅」といった決まった言葉を使って表現します。実際には雀が鳴き、チューリップが咲いていても、やっぱり「鶯の初音」に「梅香」といった言葉を使って、同じ季節の感覚をともに楽しむのです。これが基本になければ、冷泉家の歌会は始まりません。この知識は教養であり、逆にこの教養さえ身につければ、うちの和歌は簡単なのです。

小林  季節や自然に対する感覚を共有し、決まったパターンを身につければ、あとはプラスアルファの部分で遊ぶのですね。
冷泉

 そうです。いまの宮中の歌会は、現代的になさっているので、みなさん、あのイメージが強いのだと思いますが、あのような詠み方で100首もつくるのはたしかに苦しい。でも、私どものように、夏は「五月雨」「蛍」「橘」・・・といったパターンがあれば、100首ぐらいはわりあい簡単に詠めます(笑)。


四季を詠み、季節を味わう
小林

 つまり、冷泉家の和歌においては、季節感がとても大事なのですね。

冷泉

 そうなんです。ですから、季節を表す言葉も無数で、私はこれこそが日本の文化やと思うんですよ。私たちは、ふきのとうや土筆を見つけると、「ああ春が来た」と思い、お花見にヤイヤイ気を揉みますでしょう?(笑)。これは日本人に共通した感性ではないかと思いますね。

小林  四季のはっきりした日本ならではの感覚でしょうね。ところが、食の世界では、年中同じような野菜が出回るようになり、しだいに季節感が薄れています。冬のキュウリは多くのエネルギーを使って温室栽培されるのですから、消費者としてはまずそのことを知って、なるべく近くで採れた旬のものをおいしく食べるように心がけたいと思いますし、京都の生協も、「京都で採れた産物はできるだけ京都で消費しましょう」と生産者のみなさんと一緒に取り組んでいます。
冷泉  でも、一方では行ったこともないような土地の見たこともないような珍しいお料理も食べたいし、私たち人間はとてもぜいたくなんですね(笑)。
小林

 単に食欲を満たすだけではなく、暮らしを彩ったり、心と心を結び合わせたりするのが人間の食という営みなのでしょうね。冷泉家でも、年中行事に合わせたお料理のきまりがあると思いますが、たとえば桃の節句にはどんなものを召し上がるのですか?

冷泉  うちでは、お雛さんを片づける前日ぐらいに、赤のご飯(うるち米で炊く小豆ご飯)、大根なます、白味噌のおつゆ、筍やかまぼこのお煮物、笹カレイの焼き物など、本物のご飯を、お雛さんの膳にあげます。私が子どもの頃は、その日はお友達をお呼びして、お雛さんにあげたお膳をすべして(下げてきて)、みんなでいただきました。まるでおままごとみたいで、それはもう最高に楽しかったですね。

「家族」のかたちももっと融通無碍に
小林  雛人形やお道具もたいへんな数だと思いますが、毎年、全部飾られるのはたいへんでしょう?
冷泉  いまは財団の事務所の人がヤイヤイ言いながら出してくれます。やっぱりお雛さんは、たくさんの人とヤイヤイ言いながら飾って、一緒に眺めて楽しむもので、独りで飾って、独りで眺めて、独りで片づけるなんてできませんね。昔は子どもの数も多かったし、家のなかにはお手伝いさんや事務をやってくれる人たちなど、いわゆる「他人」もけっこういました。その人たちも含めての「冷泉家」であって、その人たちも一体となって「家」を支えてくれていたんですね。

 その点、いまは人工受精のように高度な生殖技術を使ってまで「実子」にこだわりすぎるのではないでしょうか。昔のお寺には孤児や障害のある子がいたり、長屋では他家の子どもも一緒にご飯を食べさせたり、養子や里子も多くて、「家族のかたち」がもっと柔軟だったような気がします。

 いま、独りでご飯を食べる子が増えているといわれますが、だったら昔の長屋のように、隣のお母さんと一緒に食べられるような、そんな融通無碍な仕掛けがあってもいいのではないでしょうか。

 「家族」を、血縁でつながった人間だけに限定しないで、他人の子どもの面倒を見てあげることがもう少しあってもいいのではないかと思いますね。 
小林  以前は、地域が共同体の機能を果していて、近所のおじさんやおばさんも子どもたちを見守り、叱ってくれました。いまは共同体としての地域の力が低下しているのですね。
冷泉  だから、お母さんにばかり負担がかかって、しんどくなって、虐待に走ったりするのでしょうね。

良識ある市民として 歴史都市に暮らす
小林  貴実子さんは女子校で和歌を教えておられますが、現代っ子はどのように詠みますか。
冷泉

 教えるとDNAが目覚めるようで、わりあい上手に詠みますよ。ただ、痛切に感じるのは、子どもたちの感覚から「秋」が欠落していること。春の桜、夏の海や山、冬の雪はわかる。でも、秋の紅葉は出てこない。紅葉の美が、子どもたちにはわからないんです。秋ほど、日本人の魂に訴えてきた季節はないというのに…。

 この原因は、私が思うに商業主義です。だって、京都の紅葉がいちばん美しい11月、京都駅に着いた方々がまず目になさるのは派手なクリスマスツリーでしょう(笑)。まだ雪も降らないのに、街の飾り付けも音楽もクリスマス一色。そんな環境のなかで育てば、「秋の七草」「すだく虫」「月影」なんて抜けてしまうのも無理はないと思います。 

小林

 そう言えば生協の店舗も11月中からクリスマスモードに入ります。耳が痛いですね(笑)。たしかに、まだそれほど寒くないのに、カレンダー上ではクリスマスやお正月が近づいてきて、実際の季節感とのずれを感じることがあります。最近は旧暦が見直されつつあるようですが、冷泉家の行事も旧暦でなさっているそうですね。

冷泉  ええ。旧暦ですと、お正月には梅が咲いて鶯も来ますし、桃の節句には桃が咲きます。七夕が梅雨の最中になることもありません。新暦でいくかぎり、季節感が衰えるのも必然かもしれませんね。  
小林  京都は、暑さ寒さともに厳しく、気候の折り目がはっきりしていますし、行事食の伝統も一般家庭のレベルで比較的よく残っているまちですから、私は季節とともに暮らすことを大事にしたいと思っています。貴実子さんは、京都で暮らすことの意味をどのようにお考えになっていますか。  
冷泉  京都は、遷都から1200年の間、荒廃したことはあっても、一度も消えたことのない不思議な都市です。1200年もの歴史を持ち続けている世界史的にも希有なまちなのですから、この美的・知的な文化的財産を大切にしたいですね。  もちろん、やたら壊すことは論外ですし、目立つことのみを優先した派手なのぼりや看板などもいかがなものでしょうか。もう少し美的センスを大事にしたいと思います。  
小林  それを不釣り合いだと感じる市民のセンスが大切ですね。  
冷泉  そうです。それが歴史あるまちに生まれた市民としての良識ですし、それはちゃんと育てていきたいですね。
小林  きょう聞かせていただいたお話をそのきっかけのひとつにしたいと思います。ありがとうございました。



写真撮影/有田知行


〔 ひとつまえにもどる 〕


京都府生活協同組合連合会連合会