「京都の生協」No.61 2007年1月発行 この号の目次・表紙

京都ではぐくまれた香り≠フ文化
  ―香はあまねく人びとに行きわたり、こころを温める―

 ストレスでガチガチになったこころが、心地よい香りのなかでゆるゆるとほぐれていく―。そんな経験はだれにもあることでしょう。「においは光のように直進性をもたないばかりに、あまねく人びとに行きわたるという特質的な能力を持っている。そういう広がり方は『仏の慈悲』や『神の愛』に似ているのではないか」と自著『香三才』に記したのは、松栄堂第12代目当主の畑正高さん。1705(宝永2)年創業、300年の歴史を誇る香の老舗で、香の歴史と可能性についてうかがいました。

 
株式会社松栄堂
代表取締役社長 畑 正高さん
  京都府生活協同組合連合会
会長理事 小林 智子

深くてゆたかな「お香」の世界
小林  香りは、においをかいだとたん過去の一場面がよみがえったり、あるいは気持ちが安らいだり、逆に高ぶったり、形はないのに、ふわりと心のなかに入り込んで来ます。とても不思議ですね。
 嗅覚に直接働きかけるものではありますが、同時に、その小さな扉のおくにはとてつもなく深くてゆたかな世界が広がっているような気がします。ですから、長年携わている私どもでも、なかなか飽きることのない世界ですね。
小林  きょうは、その「深くてゆたかなお香の世界」を教えていただきたいと思います。先ほど香房を見学させていただきました。お香といっても、いろいろな種類があるんですね。
 お線香のように直接火をつけるタイプ、香木や練香などのように間接的に熱を加えるタイプ、におい袋のように常温で香るタイプなどがあります。
小林  そうすると「聞香」というのは?
 熱灰の上に銀葉(雲母の小片)をのせて間接的に香木をたくのですが、聞香の場合、部屋全体に香りをただよわせるのではなく、香炉を掌中におさめ、そこからたちのぼる香りを楽しみます。
小林  お香は「みやびやかな京文化」というイメージがありますが、原料はほとんどが海外産だそうですね。

 香の原料は数十種類ありますが、そのほとんどは現在も東南アジアや中国、インドからの輸入に頼っています。お米やお茶は、お香と同様にもとは外来のものですが、これらにかんしては国内での栽培が可能になったために「日常茶飯事」という言葉が生まれるぐらい日本になじみました。


長い歳月と自然がつくりだす香木
小林  どのようなものがお香の原料になるのでしょうか。
 お香の原料は、香木・植物性の香料・動物性の香料に大別されます。香木は沈香と白檀、植物性には桂皮や丁子など、動物性には貝香などがあります。
小林  高級品として有名な「伽羅」も香木の一種ですか。
 そうです。伽羅は、沈香のなかでもっとも品位の高い香木です。沈香は、樹脂が木質部分に凝結し、その木が倒れて、土中で熟成したものです。白檀は、インド・インドネシア・マレーシアなどが産地です。
小林  沈香は長い歳月と自然がつくりあげるのですね。そうなると、森林伐採や自然破壊は大敵でしょう?
 人間の活動がアクティブになりすぎて、自然の再生産サイクルを待てなくなっているんですね。ワシントン条約()で国際取引が禁止されているものもありますので、そうした事態を避けるべく国際的なレベルで対策を検討しています 。

※ワシントン条約
  正式名称は「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」。乱獲で種の存続が脅かされることがないよう、経済的な国際取引の対象となる野生動植物について規制を定めている。1975年発効。日本が締約国になったのは1980年。

和様文化として醸成した「お香」
小林  もともと日本に香料を伝えたのは中国の人たちですか。
 およそ6世紀ごろ、飛鳥時代に隋から、仏教とともに宗教用具や薬として伝わったといわれています。当時の人びとにとって香料は、水に入れておくと虫がわかないとか、口にふくむと頭痛が消えるといった、それこそミラクルパワーを秘めたものだったようです。 
小林  平安時代の『源氏物語』には、好きな香りを装束にたきしめる貴族たちのようすが出てきますね。
 最初は教えられたとおりに使っていたけれど、たとえば「高温多湿の日本の夏に、この香りはちょっとしんどいなあ」ということになったんでしょうね。それでいろいろ工夫しているうちに「生活の彩りとしてのお香」の魅力に気がついたのだろうと思います。
小林  そういえば「かな」も、中国から伝わった「漢字」という素材をもとに日本でつくりました。かな文字もお香も、よりくらしやすくするための工夫から生まれたんですね。
 漢字は、もともと日本にあった話し言葉とは全然違うから、使っているうちにだんだん違和感が出てきたのでしょうね。日本でそういう工夫が重ねられているあいだに、中国は隋から唐になり、唐の都・長安や洛陽が栄えます。それを見たわたしたちの祖先は、平安京をつくることにしました。遣隋使派遣から約200年後のことです。『源氏物語』が書かれたのはさらに200年後ですから、じつに400年もの間、隋や唐の文化を学びつつ、この国の気候風土のなかで独自の美意識を育て、和様文化を醸成する努力を重ねたわけです。
小林  その結果、かな文字が生まれ、和歌を詠み、衣裳や部屋に香をたきしめるといった文化が生まれたんですね。
 そうですね。もちろん、そんなことができたのは貴族という、ごく限られた人たちだけですが。それに、香の場合、素材が足りないので現実的にアレンジメントせざるをえなかったという事情もあったと思います。
  たとえば春の香りなら、貴族たちは、手元にある材料で工夫して、家伝のレシピに従い、梅花を主題にして香りをつくりました。なぜなら梅は唐から渡来した植物で、植えるのも貴人の屋敷の庭先などに限られるという、特別な存在だったからです。それに、まだ寒いときにいち早く馥郁とした香りをただよわせ、春の到来を告げてくれる可憐な花ですから、それを表現できるということは、すなわち「唐様の教養と和様の繊細な季節感を身につけた人」のあかしだったのです。

戦乱の世に、芸術に昇華した「お香」靖枕%ケの確立
小林  平安時代は、ごく一部の貴族たちとはいえ、生活のなかで香りを楽しんでいたんですね。
それが「香道」といわれるようになったのはいつごろですか。
 15世紀に、足利義政が東山に山荘(東山慈照寺、現在の銀閣寺)をつくってからです。この時代の京都は、応仁の乱で灰じんに帰し、武家は自分の領地に帰り、公家や僧侶も彼らを頼って京都を離れました。京都に残ったのは、相次ぐ戦乱のなかで命のはかなさを嫌というほど見せつけられた人びとです。
  彼らは、公卿・僧侶・町衆・武家・遊芸者といった身分の区別なく東山の山荘に寄り合い、お互いの専門性を発揮して、一瞬の出会いをかけがえのないものにしようとしました。そこでそれぞれの専門、つまり華道や茶道や香道や連歌といった文化が花開いたのです。
小林  具体的にはどんな人たちが集まったんですか。
 お茶の扱いにたけた村田珠光、香りを的確に語る志野宗信、古今集を朗々とうたう三條西実隆、立華の池坊…、こういう文化人が東山のサロンにつどい、華道や香道や茶道の確立に協力し合ったようです。
小林  さまざまな階層の人たちが、明日の命も保障されないようなくらしのなかで、お互いに出会えたことを喜び、その出会いの価値を高めようとした。その結果、現代にまでつづく芸術の基礎が築かれたんですね。
 明日の命もさだかでない時代だからこそ、楽しみから芸術へと昇華したんでしょうね。その意味では、とても知的な営みだったと思います。
  ただ、お香は、いったん火にかけて使い切ってしまうと、次に香木が輸入され手元に届くまで待たねばなりませんから、おのずとある程度の人数が集まって楽しむようになりました。いいかえれば、とてもおおらかな寄り合い文化、広間の文化ですから、江戸時代には「源氏香」を代表とするさまざまな組香が生まれました。

社会性のある企業をめざして
小林  以前、池坊由紀さんと対談させていただいたとき、「ただ守るだけでは500年もつづかなかったと思う。伝統を守るには、時代の動きを見すえ、社会の要請を受けとめ、つねにみずからを変革しつづける姿勢が必要です」とおっしゃっていました。「伝統=ただひたすら守りつづける」と考えがちですが、そうではないんですね。
 じつは伝統文化の分野にいる人間は、私もふくめて、すごく革新的なんですよ(笑)。
  私たちは、1枚の紙のようなもので、「伝統と革新」という裏表があってはじめて存在するのだと思っています。
  たとえば鎌倉幕府を倒して京都に入ってきた武士たちは、それまで都ではぐくまれた価値観をいっさい気にせず、新しい生きざまを具現化しました。この人たちのことを「婆娑羅」といいますが、私は、彼らは「自分の感性や価値観だけで生きる」という意味で「新人類」だと思うんです。
  でも、ひとつの価値観や生き方が「伝統」にまで昇華するには、それがどれだけ社会性をもっているかが問われるのではないでしょうか。いま、日本でも京都でも、自分の価値基準と経済的な勢いだけで好き勝手にふるまう人がいますが、おそらくそれだけでは次代の担い手にはなれないだろうと思います。
小林  変えていくには、じつは重い責任がともなうのですね。
 そう思います。私もつねづね、伝統のなかで新しいものに挑戦しつつ、その責任の重さを忘れないように、独りよがりや空回りにならないように、と思っています。

■ おだやかな五感のバランスを取り戻したい
小林  いまは多くの情報があふれる一方で、自然の営みを感じにくくなりました。そんななか、とくに若い女性層のなかで、アロマテラピーに癒やしをもとめたり、精神的な充実をめざして聞香をはじめる人がふえているそうです。こんなに科学が発達した現代でも、香木を人工的に生産するのは不可能だそうですが、だからこそ、お香のなかに「自然」を感じとっているのではないでしょうか。
 いまは、自分が足を運ばなくても多くの情報を入手でき、実際に手を触れなくても、バーチャル(仮想)の世界でいろいろ体験できるようになりました。でも、香りはデジタルワールドでは手に入りませんから、たとえ無意識にせよ、香のなかに「自然」を感じてらっしゃるのかもしれませんね。
小林  「より速く、より効率的に、バーチャルですむものはバーチャルで」という風潮のなかで、私たち生協は、子どもたちに「たべる力」を通じて「生きる力」を身につけてほしいと思っています。「たべる」という行為は、食物連鎖の頂点に立つ人間にとって、他の生きものの「いのち」をもらうことを意味します。そこには自然の営みが深くかかわっています。
 それはとても大事なことだと思います。最近、スローライフとかスローフードといわれますが、実際にどれだけの人が家できちんと料理されたものを召し上がっているでしょうか。とくに子どもたちは、食べ物にも人の態度にも、あたたかさをもとめていると思います。
  私が気になるのは、子どもの食の問題が家庭の責任のみに帰結しがちだという点ですね。遠足にコンビニ弁当を持ってくる子がいるのは、それなりの社会背景があってのことですから、その家庭だけの責任にしないで、たとえば、みんなで飯ごう炊さんを楽しむような企画を考えたらいいと思うんです。
小林  それはいいですね。そうすれば食事づくりからたべることまで、五感を使って体験できます。
 そう、いまこそ五感が大事だと思いますね。情報過多の現代だからこそ、視覚・聴覚のみにかたよらず、祖先がはぐくんできた嗅覚・味覚・触覚もふくめた五感のおだやかなバランスを取り戻すことが大切だと思いますし、その意味でも、香りを扱う私どもの責任と役割は大きいと思っています。
小林  お香の香りも、食べ物のいいにおいも、私たちの気持ちをあたたかくしてくれますものね。今日はつきないお話をありがとうございました。



畑正高さんのプロフィール

1954年京都生まれ。同志社大学商学部卒業後、渡英。1977年松栄堂に入社。 1998年代表取締役社長に就任する。社業に加え、地元京都での経済活動や環境省「かおり風景100選」選考委員などの公職、同志社女子大学非常勤講師、香道志野流松隠会理事などをつとめるほか、香文化普及のため国内外での講演・文化活動にも意欲的に取り組む。

写真撮影・ 有田知行

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