「京都の生協」No.64 2008年1月発行 この号の目次・表紙

人・家・きもの・杏の木
  ―厳しさと温かさのなかで紡がれる京町家のくらし―

京都の人は、暑い夏や底冷えの冬と折り合いをつけ、ときには自然の厳しさにも美しさや楽しみを見いだしながら、お互いに助け合い、つながりあって、生きてきました。京町家には、そうしたくらしから生み出された生活文化が凝縮しています。山中油店の「質素倹約を旨とすべし」という家訓もそのひとつでしょうし、この老舗に長女として生まれ、町家文化の継承に力をつくす山中恵美子さんにも、そうした京都の人びとの精神性が息づいているようです。
 過熱気味のブームのなか、とかく「おしゃれな空間」といった表層的な扱いが目立つ町家ですが、そこにこめられた生き方にこそ、学ぶべき価値があるのかもしれません。


 
京・町家文化館
副館主 山中 恵美子さん
  京都府生活協同組合連合会
会長理事 小林 智子

着物の良さは、町家の良さに通じる  ――しなやかで、人にやさしい装い
小林 お着物がとてもよく似合ってらっしゃいます。
山中 ありがとうございます(笑)。
小林 もともと和服がお好きなのですか。
山中  私は古い家に育ったせいか、家も服装も洋風のものにあこがれて、着物は初釜のときに袖を通すぐらいでした。でも、着物の生地は絹など自然素材が中心ですから、体型にそっと寄り添ってくれますし、着ていて楽なんです。あまり流行もありません。
 そのことに気づいてからは、なかなか合理的な服装文化やなあと思うようになりました。
小林 そうすると、お祖母さまやお母さまの着物をお召しになることも?
山中  よくあります。祖母の帯を締めたり、母の着物を身につけたりしていると、昔の人のくらし方や想いも伝わってくるような気がして、その意味では、着物の良さは町家の良さにも通じるものがあるように思います。
小林 私はあまり着る機会はないですが、着物はいいですね。でも不便に思うことはありませんか。
山中  私は自転車が大好きで、市内のおつかいに乗って出ることが多いのですが、さすがにそのときは着物はやめます(笑)。
 着物を不便に思うのはそのときぐらいですね。

京都のことをもっと知りたい!  ――海外生活で見えたこと
小林  洋風のくらしがお好きだった恵美子さんが、いまでは町家文化館の副館主をつとめていらっしゃいます。町家の良さにめざめられたきっかけは?
山中  私は子どものころから、何をするにも、つねに「山中はんとこの娘」という目で見られていたのを窮屈に思っていました。商家ですから住み込みの人がいましたし、三世代同居でしたので、カギを閉めて家をカラにするということはありませんでした。友だちを見て、ただ漠然と「カギっ子ってええなあ」と思っていました。それに英語にも関心をもっていたので、大学を卒業後、アメリカに行きました。

 海外生活は、「山中はんの娘」といわれることもなく、自由な生活を満喫できて、とても楽しかったのですが、少々英語が話せても、日本人として日本のことをちゃんと話せないと、とても恥ずかしいんですね。そのことに気づくと、京都できちんと日本文化を勉強したいと思うようになって、帰国後、小学校の英語教師をしながら、同志社女子大学の大学院に社会人入学をしたんです。  それ以前から、「私の家は平安時代の御所にあたる内裏の近くにある」ぐらいのことは知っていましたけど、指導してくださった先生に「君は、君が育った家そのものを研究テーマにすべきではないか」といわれて、あらためて実家に残っていた古文書を調べたり、平安朝と現代の位置関係を重ねたりしてみました。

 すると、だんだん昔のくらしの気配を感じるようになって、「昔の人たちが残してくれはったものの上にいまの私らのくらしがあるんやな。私もそれを大事にして、後の人たちに伝えていきたいなあ」と思うようになったんです。

工夫を楽しみ、感性を磨く  ――自然を取り込む京町家のくらし
小林  町家にしても着物にしても、不便だといわれながらも残っているのは、それなりに理由があるからでしょうね。
山中  そうですね。木と紙と土と藁という自然の素材でできている町家は、人の体にとてもやさしいし、修繕しながら何代も住みつづけられるので、自然環境にも負荷の少ない住まいだと思います。 
小林  たしかに古いお家に使われていた木は、鉋をかけると、またきれいな木肌が出てきます。風通しのいい造りなので、木が腐らないんですね。
山中  床下が空洞なので風が動くんです。
 それに、京都の近辺で育った木を、何年もじっくり乾かしてから一本ずつ組み上げていきます。京都の気候風土で育った、京町家にいちばん適した木なんでしょうね。
小林  ご実家の山中油店では、食用油だけでなく、建築用の油も扱っておられるとうかがいました。
山中  荏胡麻油、桐油、菜種油など、いろいろ扱っています。こういう自然素材の塗料は、シックハウス症候群の心配もありませんし、木の呼吸を妨げないといわれ、体にも環境にもやさしいんです。
小林  そうすることで、自然をシャットアウトするのではなく取り込む家になるんですね。
山中  夏はクーラーをつけなくても過ごせますが、冬は寒いし、不便なところもあります。でも、それを少しでも快適になるように、一生懸命に工夫するんですね。それも苦労と思わず、逆に楽しんでしまう。最近は便利になりすぎて、工夫や知恵をはたらかせて快適さをもとめることが少なくなりました。
小林 そういえば、夏はふすまを外して、葭障子に替えたり、お部屋のしつらえも変わりますね。
山中 現代風の新しいお家はエアコンのスイッチひとつで夏になったり冬になったりしますけど、町家はそれができない代わりに、床の間の掛軸や置物を季節ごとに替えたり、着物の柄に季節感を取り込んだりしてきました。
 そういう工夫のなかで繊細な美意識や感性がつちかわれ、だんだん深みのある京都文化が形成されたのではないかと思いますね。

家が語る声に耳をすませて  ――京・町家文化館の役割
小林 いろいろうかがっていると、町家は包容力があって、住む人に合わせてくれる建物だなあと思います。
山中  でも、家のほうが人間の都合に合わせすぎて、つらい思いをしているのではないかと、かわいそうな気がすることもあります。

築百年の町家を、科学塗料を使わず、紅殻・荏胡麻・柿渋などの自然塗料で改修した「ショップ&カフェ綾綺殿(りょうきでん)」にて
小林 たとえば?
山中 最近、町家ブームとかで、カフェやレストランに改装されるお家がふえましたけど、階段や廊下の上質な木の上を女の人の堅くて細いヒールで歩かれたりすると、「そんなコツコツいわして歩かんといて。家は痛いって泣いてるのとちがうやろか」と思ったりするんです。家は何もいいませんけど、ほんまはいいたいことがいっぱいあるのとちがうやろか。私にはそんな声が聴こえてくるような気がします。
小林  たんに「町家」という形だけを残すのではなくて、町家で紡がれてきた生活文化をちゃんと受けとめないと、もったいないですね。
山中  そう思います。町家にしても着物にしても、昔はとても手間をかけてつくらはったから、使い捨てにせず、自然と大事にあつかったんやないかと思いますし、そういうくらし方の知恵や姿勢のようなものは見直すだけの価値があると思いますね。
小林  いまは、「どんどん生産して、どんどん消費して、どんどん捨てる、そんな生活はやめよう」という機運が高まっていますから、リサイクルして何代も住みつづける町家から学ぶことは多いと思います。そういうお考えで京・町家文化館を開かれたんですか。
山中  そうですね。どんなに町家文化がすばらしくても、その意味がきちんと伝わらないと、大事にしようという気持ちになっていただけないでしょう? 私も、大学院で平安時代の地図を現代の地図と重ねたりして勉強しているうちに、だんだん昔の人の声が聴こえたり、気配を感じられるような気になりました。ですから、いまの若い人も、実際に町家にふれてもらって、ていねいに語りかけていけば、町家からのメッセージをちゃんと受けとめてくださるのではないかと思うんです。
小林 博物館のようにして見せるだけとか、黙っているだけでは、なかなか伝わりませんものね。
山中 私の場合は、たまたま実家が古い商家で、三世代同居で、町家も着物も「あるのが当たり前」という環境に育ちました。いまはそんな生活をする人は少なく、私にとって日常的だったものが、非日常的なものになっています。ですから、あえて言葉できちんと伝えなければと思うんです。
小林 なるほど。最近は行政とも連携なさっていますね。
山中 上京区役所からお話があって、上京歴史探訪館を併設しました。上京区の歴史や情報の発信拠点として、また京町家の生活文化を伝える仕事は、私ひとりでできることではありませんので、行政や地域の方がたといっしょに取り組んでいきたいと思っています。
小林 公開講座もそういう趣旨で開かれているんですか。
山中 同志社女子大学と共催で、絵画・お香・落語などいろいろな角度から「京町家で学ぶ京都の歴史と文化」というテーマに迫れるように企画しています。これをきっかけに、若い方がたが京町家のくらしや景観に関心をもってくださったらとてもうれしいですし、私としてはその橋渡しをつとめられたらと思っています。

いろいろな人に見守られて育つ子どもたち  ――人とつながり、モノを慈しむくらしのなかで
小林  こうして座っていると、紅殻格子も風情があって、いいですね。
山中  見た目の風情だけでなくて、実際、紅殻格子は外がよく見えるでしょう? でも、外からは内側が見えにくいんです。京都の人は、そうやって最低限のプライバシーを守りながら、さりげなく表を通る人を見ているんです。
小林 それで、ご近所の方も「あっ、いま恵美ちゃんが通らはった」ということになるわけですね(笑)。
山中  そう(笑)。若いころはそれがわずらわしかったんですけど、そういうくらしのなかで自然に、ご近所とのほど良い距離の取り方やふるまい方を教えられたような気がします。ご近所とは持ちつ持たれつの関係がありますし、町家の生活が当たり前にあったころは町内のコミュニケーションも自然にとれていたのだろうと思いますね。
 それに、家の仕切りもドアではなくて一枚のふすまですから、知らず知らず、人への気づかい方が身につきます。とくに「だいどこ」(食堂兼居間)は、祖母や両親など、いつも家族の顔が見えるところで、そこを通らないと奥の部屋へは行けません。人の目がある分、「いま子どもが何をしてるかわからへん」ということもありませんでした。
小林  町家は子育ての面でもすぐれた機能をもっているんですね。やっぱり人とのつながりやコミュニケーションは、安心できるくらしの基礎だと思います。生協も「くらしの安心づくりはコミュニケーションから」ということで、組合員どうしで何でも自由に話し合う「おしゃべりパーティー」を開いたり、商品を配達するときに、高齢の組合員の方の安否確認や子どもたちの見守りといったことも期待されています。生協の活動について感じておられることがありましたらお聞かせください。
山中 私は、お料理をつくることもいただくことも大好きですので、食材選びもけっこううるさいんですよ(笑)。その点、生協は食べものの安全面でも心配りをしてくださっているので安心できますね。
小林 ありがとうございます(笑)。やっぱり、おばんざいは定番メニューですか。
山中 そうですね。このあたりはいまでも上賀茂のほうからお野菜の振り売りに来てくださるし、季節の野菜でよくお料理します。若いころは、とくにお盆になると、8月13日の朝から16日の朝まで精進料理の連続ですので、「毎日こんな脂っ気のないもんばっかり…。かなんなあ」と思ってましたけど、いまは「京都の家庭料理は、体にもよくて、手をかけてていねいにつくる料理法なんや」としみじみ思います。
小林 そういえば、山中油店の家訓は「質素倹約を旨とすべし」だとか。
山中 それは初代の教えで、竹製の雨樋がそれを象徴しています。いまどき竹製のほうが維持費が高くつきますけど(笑)。先祖に感謝しつつ、季節ごとの行事は守っています。お正月の門松やしめ縄は手づくりで、各部屋や水回り用の「ちょろけんさん」は100個近くつくります。
 庭に、樹齢200年以上といわれる杏の古木があります。この木は、いまもわが家の庭で生きていて、6月になると実をつけてくれます。長い間、山中家のくらしぶりを見守ってくれてるんやなあと思うと、思わず語りかけたくなりますね。
小林 人も家も着物も木も、みんな命あるもの。それを大切にするくらしのなかで京都の生活文化が受け継がれてきたのですね。生協としても温かなつながりと伝統を守るお手伝いができたらと思っています。今日はどうもありがとうございました。





山中恵美子さんのプロフィール

「山中油店」の長女として生まれる。同志社大学英文科を卒業後、アメリカ・オランダ等で4年間を過ごす。帰国後、通訳・英語の教師のかたわら、同志社女子大学大学院に入る。京都文化専攻。現在は、「京・町家文化館」副館主、「上京歴史探訪館」副館長として文化的活動に尽力。また、大の料理好きで、創作料理コンテストで最優秀賞を受賞した。

写真撮影・ 有田知行

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