「京都の生協」No.69 2009年8月発行 今号の目次

命と食と農をつなぐ食育
-文化としての「京都の食」を次世代にひきついでいきたい-

 同志社のシンボルカラー紫ののれんがひるがえる京町家「江湖館」。ここは「社会の病気を治すお医者さん」を育てるための、同志社大学大学院総合政策科学研究科の学外キャンパスのひとつです。同研究科教授の今里滋さんが、ガンジーの言葉を引きながら、「食や衣など、人が生きるために必要なものはすべて自然の恵みからいただいている。食育のなかで、命の大切さを伝えたい」と語るそばを、おだやかな風が通り抜けていきました。


京都府生活協同組合連合会 会長理事
小林 智子

同志社大学大学院総合政策科学研究科教授
きょうと食育ネットワーク代表

今里 滋さん

「社会のお医者さん」を育てる 学外キャンパスの意味

小林 この町家キャンパスのなかにいますと、西陣育ちの私としては、とてもなつかしい感じがします。同志社大学が町家を学びの場として使われるようになったのは、どうしてですか?

今里 私どもの大学院の総合政策科学研究科が、「現代社会がかかえるさまざまな病気を治すお医者さん、すなわちソーシャル・ドクターとして、社会起業家を育成しよう」という新しい大学院プログラムを設計し、文科省の競争的資金「魅力ある大学院教育イニシアチブ」に応募したところ、運よく2005年に採択されました。そこで、新しく「ソーシャル・イノベーション研究コース」を設置し、その学外キャンパスとして、この町家キャンパス「江湖館」と大原に農場キャンパス「農縁館」をつくったんです。
 と申しますのは、「社会のお医者さん」の養成も、心身の病気を治す医師と同様、理論を学ぶ座学だけでなく臨床が大切ですから、学内で学ぶだけでなく、学外の現場に足を運んだり、地域の方がたとふれあいながら研究をすすめる必要があるわけです。

小林 「江湖館」というお名前の由来は?

今里 「江湖」は、古代中国でも使われていた言葉で、「世間」とか「広い社会」を意味します。また、日本では明治維新以降、『江湖新聞』なるものが発行されていました。そこで私たちの思いを込めて、「人びとが広く集まり、衆知を集めて問題を解決する場」という意味で、「江湖館」と名づけました。


「まちづくり」と「食」のつながり コミュニティ・食・農

小林 先生は以前、九州大学で教えておられて、まちづくりなど市民運動のリーダーとしても活動なさっていたとうかがいました。
 現在は、同志社大学で教えるかたわら、きょうと食育ネットワークの代表として、食の問題に積極的にかかわっておられますね。食の問題に取り組まれるようになったきっかけは?

今里 私事になりますが、44歳のときに同い年の前妻を乳がんで亡くしましたので、そのころから食を意識していました。また、当時小4の娘の食事をまかなうために料理もはじめました。
 ちょうどそのころ、まちづくり活動の一環として、みんなで集まって、きたんなく話し合える場をつくりたいとも思っていましたが、それにはいっしょにテーブルを囲んで、飲んだり食べたりするのが一番です。そこで、NPO活動のひとつとして「筥崎公会堂」というレストランをはじめたんです。 このレストランはその後、女性を中心に、とくに食への関心や知識や経験の豊富なメンバーが参加するようになって、「レストランで提供する食事も、食材から見直して、無農薬・有機栽培の野菜を中心にした料理を出そう」ということになりました。
 食にこだわりはじめると、必然的に農へと関心が広がります。心ある農家の方がたと交流するようになり、生産現場に足を運ぶうち、「食と農の交流を通じて健全な命をはぐくむ」というスキーム(基本構想)をつくって活動するようになりました。このレストランは現在も、「命と食と農をつなぐ コミュニティ・レストラン筥崎公会堂」としてがんばっています。


農的なくらしが消えていく 食の工業化のなかで

小林 このごろは、おとなは仕事、子どもは塾や部活と、みんな、あわただしく過ごしていて、家族でともに食事を楽しむことが大切にされなくなりました。「個食」は、「孤食」でもあるわけで、食が家族や社会の姿を映しているようにも感じます。

今里 「ホウショク」という言葉も、もともとは「飽食」ですが、このごろは「豊食」「崩食」「呆食」などさまざまな漢字があてられていますね。これは、家族関係や社会関係もふくめて、日本人の食の構造変化をあらわしていると思います。

小林 どんな変化があったのでしょうか。

今里 ひとつは食の工業化です。高度成長以前の、まだ農業社会的な要素を残していたころは、ほぼ地産地消で基本的な食をまかなっていましたが、大量の輸入農産物が安く入るようになって、低価格の原料を使った工業的な食品が流通しはじめました。おそらく、このことが私たちの健康面にも悪い影響をあたえたのだろうと思います。
 もうひとつは家族関係の変化です。経済的な豊かさとひきかえに、おとなは長時間労働に、子どもは勉強や部活に追われて、家族でいっしょに食事をしなくなりました。いわゆる「共食」の減少です。 それにくわえて、農業・食料生産も、世界的な規模で質的変化をとげつつあります。まず、バイオテクノロジーの「進歩」によって、遺伝子組み換え技術が生まれ、除草剤耐性大豆や病虫害耐性トウモロコシなど、それじたいが殺虫剤の成分をもつような新しい品種が誕生しました。
 それらの種子は、巨大な多国籍企業によって特許がとられ、独占されて、中国やオーストラリア等の大規模食料生産地に広がっています。
 つまり、遺伝子組み換え技術とグローバル化した巨大資本による食の支配がすすんでいるわけです。 そういう状況のもとでは、当然、食の工業化がすすみますので、日本の農業の構造も変化します。自然環境と家族経営に立脚した、伝統的な農業経営はどんどん姿を消し、農業従事者はいちじるしく減りました。つまり、われわれの周囲から「農的なくらし」が消えているわけで、非常にゆゆしい事態です。


横のつながりですすめたい京都の食育 きょうと食育ネットワーク

小林 「農的なくらし」という点では、たとえば牛乳にしても、いまの子どもたちにとっては「スーパーで売っている、紙パック入りの飲み物」にすぎません。でも、生協の産地訪問で牧場に行って、牛のからだからほんのり温かい牛乳が出てくる場面に立ち会うと、「紙パックに入った牛乳を飲むこと」と「牛の命をいただくこと」が結びつくようになります。その意味で、いま先生もおっしゃられたように、農、健康、社会・家族関係の3つの側面から食育の必要性を感じています。
 2005年に食育基本法ができた後、京都では2007年に京都府食育推進計画と京都府食育推進行動計画が組まれ、食育に取り組む関係団体による「きょうと食育ネットワーク」が結成されました。このネットワークは、私ども京都府生協連も幹事団体として参加して、いまでは86団体という多くのご参加をえています。そうした規模にふさわしい役割をはたしたいものですね。

今里 じつは私は福岡でも、「食育推進ネットワーク福岡」という団体の代表をしています。この団体は、京都とは対照的に、行政関係や各種団体はほとんど入らず、食に関心のある個人や市民団体で構成する、まったく民間のボランタリーな組織ですが、メンバーには生産者も消費者も流通業者もいます。毎年、福岡の繁華街の天神で食育祭を開き、ことしは約7000人が集まりました。活動資金も、補助金はないので、ブックレットの制作・販売などでつくっています。
 京都の場合は、食育基本法にもとづいて、行政のイニシアチブで結成された団体という性格があって、医師会や農協をはじめとした各種団体が網羅され、行政が中心になって各種団体をたばねていくというワク組みなのですが、行政は予算や権限のワク内で動きますから、とくに予算がないと動きがとれません。現に京都府においても食育関係予算はごく少額ですので、インターネットのメーリングリストでお知らせを配布することぐらいしかできない。このあたりのブレイクスルー(解決策)を行政まかせにしないことが大切だと思います。

小林 食を中心に自由な発想で、たとえば参加団体が交流・協同する場をふやすなどしたいですね。

今里 同感です。それで、江湖館でも何度か、参加団体の交流会を開いて、飲んだり食べたりしながら話し合いました。そういう横のつながりを活性化して、たとえば医師会・助産師会・農協のコラボレーションで「健康な赤ちゃんを産むための食を考える講座」を開くとか、そんなことができたらいいなと思っています。せっかくのネットワークですから、縦ではなく横につながりたいですね。


文化としての食を伝える 京都ならではのハイパー食育

小林 とくに「京都の食育」としては、どんなことが考えられるでしょうか。

今里 京都に住むようになって、京料理は、食材から味や盛りつけにいたるまで、すべてが洗練された、日本の食文化の粋であると実感するようになりました。
 この食文化を、商業ベースだけでなく次世代にひきつぐことが大切で、そこに京都ならではの食育の必要性もあろうかと思います。こうした食育は、「文化」でもありますので、食育に文化を加味した、いわば「ハイパー食育」とでもいえるものですね。
 そこで私どもの研究科では、同志社小学校の1~3年生の子どもたちを対象に、「畑からお皿までの食育を考える」というキャッチフレーズで、「食育ファームin大原」というプロジェクトに取り組んでいます。
 子どもたちは、大原の農場キャンパスで畑の開墾から畝づくりや収穫など、野菜づくりのすべてのプロセスを経験したのち、プロの料理人さんにおもてなしの作法もふくめて指導していただきながら、みずから育てた野菜を料理します。そうすると、3年生になるころには、本物の味がわかるようになります。
 自分がつくった野菜を、おいしく調理し、そのおいしさをみんなで分かち合うために礼儀作法も身につけて、みんなに楽しんでもらう。そういう、茶道にも通じる心と技と自覚を備えた子どもたちが育てば、京都の食文化の担い手になってくれるのではないか。少々手前ミソですが、そんなことを考えています。

小林 実際に体験することは、とても大事ですし、子どもたちも大喜びします。おもしろいことに、生協で田植えなどの体験企画をすると、子どもたち以上に、若いお父さんやお母さんが夢中なんですよ(笑)。

今里 いま子育てをしている世代じしんが、農業をふくむ生活体験という面では非常にとぼしい環境のなかで育ってきたのかもしれませんね。私どもの研究科では、子どもたちや保護者の方がたといっしょに、種から綿を栽培し、秋には綿で糸くりをして、その糸を染色して紡ぐという体験活動に取り組んでいますが、綿くりや糸つむぎのような単純作業にハマるのはたいてい若い父親です(笑)。
 もちろん、子どもたちは、植物としての綿から、自分たちの身を包む衣が生まれるプロセスに感動し、衣服を見直すようになります。やはり体験は大きな力になりますね。


学生の自発性を引き出し、「社会人力」をつける 大学生協の取り組み

小林 大学生は、これから社会人になり、子育てもしていく人たちですから、どんな食生活をしているのか、たいへん気になります。

今里 とりわけ心配なのは、これから命を生み出していく女子学生ですね。

小林 一汁三菜のバランスのとれた食事をしていたらそれほど太らないはずなのに、あいかわらず「ヤセたい願望」がつよいし、その一方でケーキやジャンクフードなどもけっこう人気があるようです。そこで大学生協も工夫して、最近では学生じしんが食堂のメニューづくりに参加する例もふえています。 

今里 自分たちで企画したメニューなら食べますからね。私が担当する政策学部の食と農をテーマにしたゼミでも、食料自給率を向上させようということで、女子学生が中心になって、大学生協とのタイアップで、モッフル(小麦粉の代わりにお餅をプレスしたワッフル)をつくりました。新町学舎のカフェテリアで、モッフルにアイスクリームや生クリームなどをかけてデザートとして出していますが、なかなかおいしくて人気です。こういう自発的な取り組みをとおして、日常生活のなかに農的なライフスタイルや価値観を取り込めるようにしたいですね。

小林 大学では、食を組み立てる力とともに、社会人として生きる力をつけることが大きな課題になっているようですが。

今里 いわゆる「社会人力」ですね。学生のなかには、「この世の中をなんとかしたい」という志に燃えた若者もけっこういるので、私は失望していません。ただ、社会人としてさまざまな責務をはたす根本としての食という意味では、まだまだ自覚が足りない。大学教育のシステムとして、そうした自覚と知識と技術を育むプログラムが必要ですが、あまり存在していないというのが現実です。
 そういう状況のなかでは、たとえば大学生協で学生むけの料理教室などをやってもらえたらと思いますね。私じしんも、「一物完食」といいますか、魚のきれいな食べ方や大根を皮や葉っぱまで余さず食べる方法などを、授業のなかで教えたいと思っています。


よりよき社会の実現をめざす 協同経済の担い手として

小林 生協にたいしてどんなことを期待されますか。

今里 やはり生協は、消費者が共通の利益を守るために力やお金を出し合い協力することが原点ですから、その原点に立ちかえり、自分たちのくらしや命を守る自律的な運動としての生協運動を、学生消費者や一般消費者にわかってもらうような取り組みが大切だと思います。
 もうひとつは協同経済の担い手としての生協の役割です。いま席巻している新自由主義経済、すなわち競争経済は、ひとつの進歩をもたらした半面、惨憺たる結果を招きました。この競争経済にたいするのが、お互いの助け合いに基礎を置いた協同経済です。生協は、協同経済を対置することで、自然環境を守り、貧富の差の少ない社会の実現をめざしていくという使命をもっていますから、その使命の担い手としてお互いにがんばっていきたいですね。

小林 生協では、食育を「たべるたいせつ」と表現しています。「たべるたいせつ」は、生きる力を育む取り組みであり、食を中心とした協同の社会づくりでもあります。ともに食育活動をすすめていきたいと思います。


写真撮影・有田 知行

今里 滋さんのプロフィール

1951年、福岡県飯塚市生まれ。九州大学大学院法学研究科博士課程修了。法学博士。九州大学名誉教授。2003年4月の福岡県知事選挙に「新福岡空港建設反対」をかかげて出馬。現在は、同志社大学で社会起業論や公共性論を担当している。さまざまなNPOの理事長や理事を歴任し、市民公益事業の分野でも活躍している。著書に『アメリカ行政の理論と実践』など多数。