「京都の生協」No.72 2010年8月発行 今号の目次

「核兵器なき世界」をつくるのは、市民と非同盟諸国の協同の力!
―― 「草の根」活動が切りひらく核兵器廃絶への道すじ――

 ことし5月、ニューヨークで開かれたNPT再検討会議は、「核兵器の完全廃絶への明確な約束」という言葉をふくむ最終文書を全会一致で採択しました。核保有国の反対で最終文書が採択できなかった5年前の会議にくらべて、きわめて大きな前進です。この「明確な約束」を引き出した背景には、「報復ではなく核兵器廃絶にむけた協同を」と訴える被爆者と反核平和をもとめる市民運動、それに非同盟諸国や非核保有国のねばりづよい取り組みがありました。今回は、そのパワーを現地で実感してきた京都の生協の代表のみなさんとの座談会です。

 

NPT(核不拡散条約)再検討会議への京都の生協代表参加のみなさん


京都府生活協同組合連合会 会長理事
小林 智子

京都生活協同組合 理事
湯浅美恵子(ゆあさみえこ)さん

京都生活協同組合 舞鶴行政区委員
金井和枝(かないかずえ)さん

京都大学生活協同組合 留学生委員会
劉琬月(りゅうえんげつ)さん

  NPT再検討会議への要請行動に参加した思い

小林 みなさん、まだニューヨークでの行動の感動もさめやらぬうちかと思いますが、まず、NPT再検討会議への要請行動に参加された動機について、おうかがいしたいと思います。

 大学生協連の代表としてニューヨークに行きました。私は、中国からの留学生で、いまは京都大学経済学部の3年生です。高校までくらした中国の学校では、「原爆投下によって戦争が終わった」と教えられていたので、私じしんも「正義の一発だ」と思い込んでいましたが、日本に留学して2年目の夏、大学生協連の「Peace Now! Hiroshima 2009」に参加して、その思い込みがくつがえされました。
 広島で、戦跡や原爆平和記念資料館を見学し、被爆者の方がたの証言を聴くなかで、「原爆がこんなひどいものだなんて、ほんとうに知らなかった!」と大きな衝撃をうけました。
 「核兵器はどんなときでも使ってはいけないものだ」とつよく認識しました。それで、今回のNPT再検討会議への要請行動にもぜひ参加したいと思いました。

金井 私は京都生協の舞鶴行政区委員をしています。小学生のころ、8月6日といえば、夏休みのあいだの登校日で、先生や友だちと原爆や平和について話し合ったのに、いまは登校日ではないんですね。子育てをするようになって、そのことに気づいて、それでいいのかと疑問を感じていました。
 行政区委員になった5年前、ちょうど被爆・敗戦60年の「ピースアクションinヒロシマ」に参加して、「こんなに多くの人びとが平和をもとめて真剣に考えているんや。生協の活動でも、もっと平和について学ばなあかん。知らないままではあかん」と痛感しました。
 また、昨年参加した沖縄戦跡めぐりでは、沖縄戦を体験されたお年寄りが「もう二度とあんなことをくりかえしてはいけない」と話してくださって、「私も同じ思い。この思いをまわりに伝えていきたい」と考えるようになりました。
 まさか私がNPT再検討会議への要請行動に参加できるとは思いませんでしたが、「自分の目で見届けたい」という、小さな炎のようなものが胸の奥にあったので、思い切って京都生協のNPT再検討会議への代表派遣企画に応募して、参加できることになりました。
 ニューヨークでは、とても貴重な体験をさせていただいたと思っています。

湯浅 私は、京都生協の理事になって3年目の2009年から、平和分野を担当しています。
 それまでは、それほど深く平和運動にかかわっていたわけではありませんが、平和活動の担当理事として、NPT再検討会議にむけた署名活動や学習会などに取り組んできました。
 京都生協として理事会代表1人と組合員代表1人をNPT再検討会議への要請行動に派遣することになり、私が理事会代表として参加することになりました。

  エネルギーが100倍になったパレード ――ニューヨークでの共同行動

小林 ニューヨークでは、どんな行動をされたのですか?

 はじまりは5月2日の「核兵器廃絶のためのNGO共同行動集会・パレード」です。30度をこえる暑さのなかでたいへんでしたが、アメリカ人らしき人に英語で話しかけると、なまりのある英語で返事が返ってきて、アメリカ人じゃないのかとびっくりしました(笑)。
 団体参加ではなく、1人とか家族で来ている人が意外に多くて、これは今後の大きな力になるのではないかと思いました。
 その翌日から国連本部ロビーで原爆パネル展「国連原爆展2010」がはじまりましたし、私たちは被爆者の方がたといっしょにニューヨーク市内の中学校・高校・大学をまわって、証言活動とそのサポートをおこないました。

小林 パレードの写真を見せていただくと、金井さんと湯浅さんのよさこい衣装がとてもめだっていました。あれは金井さんのアイデアですか?

金井 そうです。というのは、舞鶴から送り出されるとき、みんなに「めだたなあかんで!」といわれたんです。たしかに、めだてばマスメディアも取り上げてくれるだろうと思いました。舞鶴という地名にちなんで、平和の象徴である折り鶴の柄の衣装にしようと思いました。

湯浅 金井さんが「いっしょに着ませんか」とさそってくださって、私も着させてもらいました。

金井 渡米する前に各行政区をまわったときに、みなさんのメッセージを衣装に寄せ書きしてもらったのですが、いまふりかえると、そうやって書いてもらうプロセスがとても大事だったような気がします。
 つまり、書き込んでもらうたびに、みんなの気持ちが私に移ってきたというか、私の気持ちがどんどん熱くなっていったというか、そんな気がするんです。
 いざニューヨークの共同行動集会に行くと、みなさん、折り鶴のレイなど、いろいろなグッズを配ったり、交換したり、見知らぬ人といっしょに写真を撮ったりして、パレードがはじまる前から気持ちが高まっていきました。「みんな、私と同じような気持ちで集まっているんや!」と思うと、私じしんのエネルギーが100倍にもなったような気がしましたね(笑)。


  「私たちはアメリカ市民をうらんではいない。報復でなく協同を」
――被爆者の証言活動

小林 被爆者のみなさんの証言活動は、どんな様子でしたか?

金井 私が所属したグループは、コロンビア大学で、教師をめざす学生たちとその先生たち60~70人を前に、3人の被爆者の方がご自分の体験を話されました。おひとりは長崎で被爆した方、もうおひとりは救助活動に入って入市被爆した方、もうおひとりは胎内被爆された方です。はじめて聴く証言につよい衝撃をうけて、学生たちのなかには泣きだす人もいました。

小林 アメリカの人たちは、かつての劉さんと同じように、「原爆投下は戦争終結のために必要な作戦だった」と教えられているでしょうから、被爆の実相を直接、聴いて、知ってもらうことはとても大事ですね。学生たちからは、どんな質問が出ましたか?

金井 「原爆がこんなにひどい被害をもたらすものとは、まったく知らなかった。これから私たちは平和のために何をすればいいのですか?」とか、「アメリカ人をうらんでいませんか?」など、純粋さの感じられる質問が出されました。
 被爆者の方がたは異口同音に、「私たちはアメリカの市民をうらんではいない。平和のためには、報復ではなく、核兵器の恐ろしさを子どもたちに教え、みんなが核兵器廃絶にむけて歩きだせるようにしてほしい。きょう自分が聴いたことを誰かに話してください」と訴えられて、学生たちも「それなら自分たちもできる」と感じていたようです。

 私が参加した証言活動グループでは、被爆体験を聴いたあとの質疑応答で、「原爆よりテロのほうが恐い」と話す学生が多くて、びっくりしました。とくにニューヨークにくらす学生たちにとっては、9・11テロの衝撃が大きかったようです。「テロリストに核兵器を渡すぐらいなら、いっそ核兵器は廃棄したほうがいい」というロジック(論理)による考え方もあるのかなと思いました。
 私は、「何のために核兵器をなくすのか」という目的はちがっても、「核兵器廃絶」という結果を共有できるなら、彼らといっしょにがんばれると思いました。人によって意識のちがいはありますが、どんなに認識がちがっても、真実はひとつしかない。その真実をちゃんと伝えていけたら、お互いの認識も少しずつ近づいていくのではないかと思います。


  「アメリカ政府の代わりに、ぼくが謝ります」
―― 国連原爆展2010

小林 国連本部ロビーで開かれた原爆展(※1)はどうでしたか?

湯浅 展示ブースの一角では証言活動もおこなわれていました。そこで被爆者の土屋さんが淡々と証言されたのですが、話が終わると、金髪の青年がつかつかと歩いてきて、通訳を介して「あなたの話を聴いて、核兵器はけっして使ってはいけないということがよくわかった。アメリカ政府は日本にちゃんと謝っていないから、ぼくが代わりに謝ります」といったんです。
 土屋さんは「こんな若者がいるから、うれしくなるんだ」とおっしゃっていました。
 5年前のこの会議に代表派遣され、その後、被爆者として活動を続けておられる花垣ルミさんも、「私は、過去のことではなく、これからのことをいっしょに考えませんか、というメッセージを伝えています。そうすると、アメリカ人も中国人もみんなわかってくれて、最後には握手をして、抱き合えるんです」とおっしゃっていました。私たちは、花垣さんや土屋さんのあとの世代の人間として、そういう気持ちを伝えていきたいと思います。

金井 コロンビア大学の学生たちも、帰りがけには被爆者の方がたのところに寄ってきて、握手をもとめたり、「がんばってくださいね」と話しかけたりしていました。彼らなりに感動し、「自分たちも何かしなければ」と感じたんだと思います。被爆者の方がたも「学生たちの手のぬくもりのなかに『これから自分も核兵器廃絶のためにがんばろう』という気持ちを感じた」とおっしゃっていました。まさに証言活動の重要さを感じた一瞬でした。

小林 私も何度か被爆者の方がたのお話をうかがってきました。
 そのたびに「いま伝えなければ、もう時間がない。自分の生きているあいだに、核兵器のない世界にしたい」という切実な思いが伝わってきました。

 ほんとうに、もう時間がありません。
 私は証言活動をされた被爆者のおひとりから「あなた方は、ニューヨークで被爆者の話を直接聴ける最後の大学生かもしれない」といわれました。しっかり語り継がねばと思います。

※1 国連原爆展
写真パネルは全部で50枚。ビキニ環礁での水爆実験で被爆した第五福竜丸やマーシャル諸島、核実験による被害をうけたアメリカ・ネバダ州やカザフスタンのセミパラチンスク、チェルノブイリ原発事故での被害など、世界中の核の被害を訴える展示内容になりました。

  市民と非同盟諸国の協同の力が世界を変える!

小林 ニューヨークでの一連の行動でもっとも感動したこと、心に残ったことは?

 ある女子高校での証言活動で、女性の被爆者の方が、「当時は、結婚してはいけない、子どもも産むなといわれていた。プロポーズされて、はじめて相手に被爆者であることを打ち明けた。いまは孫もいるけれど、孫や子どもたちが病気になるたびに自分のせいではないかと思う」と話すと、女子高生たちは泣きながらも、「いつか私たちも母親になる。自分の子どもは絶対にそんな目にあわせたくない」と、自分の身にひきよせて考えていました。  帰る直前、ひとりの女の子が「きょうの授業は一生忘れません」といってくれました。とっさのことで「ありがとう」としかいえませんでしたが、ほんとうは「私もです」といってあげたかったです。被爆者の方の思いがアメリカの女子高生の心に届いたんだと思いました。

金井 私が印象的だったのは、通訳として協力してくださった約80人の在米日本人のボランティアの方がたの姿ですね。
 夫の転勤でアメリカに住んでいる方や看護師さんなど、立場はいろいろでしたが、どの方も「被爆者のみなさんの思いを、できるかぎり確実に伝えたい。そのためにもっとも適切な言葉を選ばねば」ということで、専門用語も勉強して、通訳にのぞんでおられました。あの真剣さをみていると、こんなにたくさんの人が支えてくれているんだと胸が熱くなりました。
 それと国連の各国政府代表部に要請行動をしたとき、私たちが訪問したマレーシアのハミドン・アリ大使は「世界中の市民一人ひとりが手をつないだら絶対に平和になると確信して会議で発言するつもりだ」と答えてくれました。

小林 今回のNPT再検討会議の議長はフィリピンのカバクトゥランさんで、最終文書の採択にあたって、核保有国から核兵器廃絶にむけた明確な誓約を引き出したのは、非核保有国や非同盟諸国のねばりづよい交渉があったからだと指摘されていました。
 国連事務総長の潘基文さんが核兵器禁止条約の交渉の検討をよびかけたこともたいへん注目されました。

金井 ほんとうにこれからは大国だけでなく小さな国ぐにの人たちと力を合わせて世界を変えていく時代だと思いますね。

湯浅 最終文書に「核兵器なき世界の達成にむけた諸政府や市民社会からの新しい提案およびイニシアチブに注目する」という言葉が入ったと聞き、私は「よかった」と思いました。
 これは一人ひとりの署名が有効に働いた結果だと確信しています。今回のNPT再検討会議では被爆者のみなさんが国際的な議論の場でもほんとうに大きな力を発揮されたと思います。
 私にとっては、去年までNPT再検討会議についても知らないことばかりでしたが、学んでいくなかで、とくにCANT署名(※2)や新国際署名(※3)の取り組みのなかで、広島市長の秋葉忠利さんの「歴史はくりかえす。だから学ぶことが大切なのだ」という言葉や、広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長の「真剣に考え、行動し、たたかわないと、核兵器廃絶にたどり着くことはできない」というメッセージは、とても心に残っています。生協の平和活動にも通じるのではないかと思います。


※2 CANT署名
都市を攻撃目標にするな(Cities Are Not Targets)プロジェクト「核兵器の攻撃目標の解除と核兵器の廃絶を求める要請書」署名の略称
※3 新国際署名
2008年8月、原水爆禁止世界大会(開催地:ヒロシマ)で呼びかけられた新国際署名「核兵器のない世界を――2010年NPT(核不拡散条約)再検討会議にむけて」の略称

  未来の世代のために、語り継ぐこと、行動すること

小林 これから取り組みたいことは?

 日本人の学生にも留学生の仲間にも、ヒロシマ・ナガサキで起こったこと、私がニューヨークで見たこと感じたことを伝えていきたいです。若者たちに伝えることによって、これからの社会が大きく変わりうると思うので、ぜひこれからも伝えつづけていきたいと思います。

金井 私も同感です。平和のために何をすべきか、それをまわりの人に考えてもらうには、まず自分が発信することが大切だと思って、帰国後、いろいろな集まりで報告してきました。報告を聴いてくれた人は、たいてい、「ほんまや! 私の子どもや孫にも話したい」といってくれます。私はNPT再検討会議への要請の取り組みを通じて、学ぶこと、伝えることの大切さを知ったので、そのことを忘れないで、今後も核兵器廃絶の運動をできるかぎり広げていきたいと思います。

湯浅 ある被爆者の「65年前の原爆はまだ終わっていない」という言葉を聴いたとき、私はとても強い印象をうけました。こんなに多くの命を奪い、長く苦しめる核兵器は、ほんとうになくさなければいけないし、地球規模の環境問題などと同様に大きな課題です。
 もし若者たちが平和の問題に無関心だとすれば、それはたんに「知らない」からで、私たちが彼らに伝えることができれば、かならず関心をもってくれるはずです。私も、少し前までは知らなかったけれど、今回のNPT再検討会議への要請行動を通じて、いろいろと学ぶ機会をえましたし、被爆者の方がたや反核平和運動に取り組んでいる多くの人びとから、「核兵器は一人ひとりの力で、かならずなくすことができる」という希望をあたえていただきました。ですから、今度はそれを伝える立場でがんばっていきたいと思っています。

小林 昨年11月に京都市内で開催された講演会で広島市長の秋葉忠利さんが、「各市長に平和市長会議への参加を要請しよう」という提案をされました。それをうけて、福知山行政区委員のみなさんが市に要請に行き、その後、松山正治市長から「平和市長会議に加盟の手続きをおこないました」というご返事をいただいたとうかがいました。まさに次回の会議にむけて大きな一歩がふみだされてきており、ほんとうにすばらしい行動だと思います。  みなさんのお話を聴いていて、核兵器廃絶にむけたロードマップ(作業行程)の作成を具体的なものにするうえで、大きな力を発揮するのは市民と非同盟諸国なのだと確信することができました。私も市民のひとりとして、また孫をもつ身として、しっかりと未来の世代に伝えるために行動しなければと思います。きょうはありがとうございました。



写真撮影・有田 知行