「京都の生協」No.80 2013年4月発行 今号の目次

京都の気候風土にはぐくまれた日本酒を、もっと暮らしのなかに
──多彩な日本酒を、多彩な楽しみ方で

 「和食 日本人の伝統的な食文化をユネスコの世界遺産(無形文化遺産)に」という取組みがすすめられています。
 和食と切っても切り離せない日本酒は、料理をよりおいしくし、会話をはずませ、人生を豊かにするものですが、現代の食生活にマッチした新しい飲み方の提案ももとめられているようです。おいしい日本酒を片手に、京都のお酒の過去・現在・未来について、お話をうかがいました。


京都府生活協同組合連合会 会長理事
上掛 利博

京都府酒造組合連合会 会長
山本 源兵衞さん

  乾杯は清酒で!――全国初の京都市条例

上掛 いわゆる「乾杯は清酒で」条例が、京都市で今年1月から施行されました。私たちの大学の退職教員の歓送会をしたときも、まず日本酒で乾杯をしました。

山本 ありがとうございます。日本酒で乾杯することを奨励する条例は、全国でも初めてだそうですが、酒どころをかかえる京都市として、伝統的な食品のひとつである日本酒の普及・促進につとめてくださっているのだろうと思います。
 伏見酒造組合では、以前から、ホテルで開催される宴会などで日本酒で乾杯してくださるときには、乾杯用のお酒を寄付する制度を設けています。
 ただし、京都ホテル協会加盟のホテルだけとか、他に2~3寄付するにさいしての条件はありますが。
 条例が通ってからは、この制度を使われるお客様が急増していまして、組合の職員が毎日せっせとホテルにお酒を運んでいます(笑)。

「京都市清酒の普及の促進に関する条例」
2012年12月、京都市会で全会一致で可決されました。
2013年1月15日より施行。

  北から南まで、その土地の料理とともに歩む、京都のお酒

上掛 京都府内には、たくさんの銘柄がありますが、京都のお酒の特徴についてお聞かせください。

山本 京都府といいましても広いですから、どの蔵元さんも、その地方に合ったお酒を造って、その地方のお料理とともに歩んでこられたのだろうと思います。
 おおまかに申しますと、伏見もふくめた京都市内では、おだしのよくきいた伝統的な京料理にマッチするように、いわゆる「とんがらない味のお酒」を造りますし、海に近い丹後地域では「おいしいお魚に合うお酒」を、丹波地域では「ぼたん鍋等に合うようなコクのあるお酒」という傾向になろうかと思いますが、いずれにしましても、良質の水で良質のお酒を造っておられる蔵元さんばかりです。
 と申しますのも、お酒の三大要素は米・水・技でして、お米と技は運べますが、水は運ぶことがむずかしいので、昔から酒産地は水のいいところにしかなかったのです。


  よい水がよいお酒を造る

上掛 灘も、伏見とならぶ日本酒の二大産地ですが、共通点は、“水”でしょうか。

山本 やはり、日本酒を造るのに好適な水があるというのが最大の理由でしょうね。伏見の水について申しますと、とてもやわらかくて、きめ細やかですから、その水から造る酒は、奥行きがあって、ゆっくりと飲んでこそ楽しんでいただけるものになっていると思います。

上掛 山本さんご自身は、「神聖」という銘柄で有名な伏見の蔵元、山本本家の11代目をつとめておられますが、創業はいつですか?

山本 江戸中期前頃の1677年です。もともと塩屋という屋号で、いろいろな業種をやっていたようで、酒造専業になったのは明治に入ってからだと聞いています。

上掛 伏見の酒造りは、いつごろから始まったのでしょうか。

山本 このまちは、秀吉が伏見桃山城を造ったときから発展しはじめて、江戸時代は京と大坂の間の宿場町としてにぎわいました。三十石船で大坂から伏見まで来て、そこから京までは十石舟、いわゆる高瀬舟に乗り換える港町だったんですね。
 行政機関も、京都は京都所司代、伏見は伏見奉行所というふうに別々で、京都に近いとはいえ、わりあい独立した位置にあったようです。
 その地下に質のよい水が湧いていたので酒造りが始まって、いまも25社が生産しています。


  京都にしかない酒米「祝(いわい)」で、京都にしかない日本酒を

上掛 もうひとつの要素の“米”については、京都独自の「祝(いわい)」という酒米があって、京都にしかないお酒が造られているとうかがいました。

山本 酒米の全国的なトップブランドである「山田錦(やまだにしき)」は、最近は各地で栽培されていますが、もともと兵庫県のお米です。「雄町(おまち)」という酒米も、岡山県のお米です。それで25年ぐらい前に、京都府と私ども酒造組合が「京都は、酒産地なのに京都独自の酒米がない。なんとかして府内産の酒米を作ろう」と話し合いました。
 調べてみますと、「祝」という品種は、昭和なかばまで栽培されていて、種籾だけが残っていましたので、「これを復活させて、山田錦に匹敵する、京都だけの酒米によるお酒を」ということで、20年前から府内で栽培がスタートしました。
 おかげさまで「祝で醸造した清酒」は、まもなく「京のブランド産品」として認定されると聞いています。

上掛 「祝」を使ったお酒の生産は増えているのですか。

山本 まだまだ少ないです。京都府は、他の県とくらべると、田んぼの面積があまり広くありません。それにくわえ、山田錦にせよ、祝にせよ、酒米は背丈が1メートル以上あるうえ、米の粒が普通のお米にくらべて大きく、重いので、ちょっとした風で倒れやすく、栽培しにくいようです。そういう理由で、反収(1反あたりの収穫量)が少ないので、まだたくさんは造っておりません。
 ただ、「祝」のファンの方もいらっしゃいますし、私ども酒造メーカーとしても「京都だけの酒米『祝』を育てていかねば」と思っています。


  伝統と最先端の科学技術で醸(かも)す、よりおいしいお酒

上掛 お酒の三大要素のひとつの“技”というのは、つまり、お酒を造る“人”ということですね。

山本 そうですね。杜氏(とうじ)さんは、お酒を仕込む冬場に、丹波や丹後といった雪深い地方の専業農家から出稼ぎで来られた方のことですが、昨今はそうした地域でも工場等の働き口ができましたし、専業農家さんも減りましたので、杜氏さんも減っています。
 そうした「蔵人(くらびと)」が減った代わりに、各酒造メーカーは、自社で、酒にたいする深い愛情と高い醸造技術をもった「技術者」を育てる努力をしていまして、長い時間をかけて磨き上げられた技術も、うまく継承されているようです。

上掛 日本酒は、もともと冬の間だけ造られていたのですか。

山本 平安時代のころは、朝廷に「造酒司(みきのつかさ)」という役所があって、そこで年中、お酒を造っていたようです。そうやって年間を通して造っているうちに、冬の期間のほうがおいしいお酒ができるということがわかってきたのでしょうね。
 このように、酒造技術は、昔からさまざまな試行錯誤をくりかえすなかで、何世代にもわたって選択を重ね、継承されてきたものでして、たんなる「カン」で酒を造っているわけではないのです。
 たとえば昔は、蔵の横に仕込み用の樽を乾かすための広場があって、仕込みが終わった樽を天日乾燥していました。おそらく昔の蔵人さんは、長い経験のなかで、太陽光には殺菌作用があって、天日乾燥は衛生的だということを知ったのでしょう。
 最近は、バイオテクノロジーが発達してきましたので、科学的な根拠で長年の経験知や技術を説明できるようになりました。そこで各社の技術者は、「伏見醸友会」という組織をつくって、最新の科学的成果や伝統的な技術などを交流し、お互いによりおいしいお酒を造ろうと切磋琢磨しています。

上掛 そのなかに、女性の酒造技術者はおられるのでしょうか?

山本 まだ少数ですが、います。いまは、蔵にもリフト等の機械が入って、力仕事が減りましたので、昔のように「女性だからダメ」といった垣根はなくなりましたね。

「蔵人」:酒造り期間に蔵元に働きにこられる方の総称
「杜氏」:上記「蔵人」のなかで、酒造りの最高責任者
2013年3月5日放送の「KYOTOで極めるハンサムウーマンライフ(第5回)時代をひらく『日本酒』を!」(NHK教育)で、伏見で働く女性杜氏の大塚真帆さんが紹介され、「飲んだ人が自然に笑顔になる、おいしいお酒をつくりたい」と抱負を語った。

  日本酒の魅力を伝えるために

上掛 ワインや焼酎も、若者や女性に人気があるので、日本酒にとっては競争相手が多いですね。

山本 おっしゃるとおりでして、酒類の売上げの面では日本酒はきびしい状況にあります。それは私ども酒造メーカーの努力不足がありまして、女性や若い方に楽しんでいただける飲み方を十分にご提案できていないのだろうと思います。
 たとえば従来のように、小皿の上にお猪口(おちょこ)をのせて、お猪口からドボドボとお酒をこぼして注ぐというやり方は、われわれ酒呑みにはありがたいものですが(笑)、女性には敬遠されますね。
 しかし、いま東京では、ワイングラスで日本酒を召し上がっていただく運動が始まっていますし、東日本大震災の後、各地で「東北のお酒で乾杯しよう」という動きが広がったときに、少量だけ召し上がった方のあいだから「日本酒はおいしい」という評価が広がったという話も聞いています。
 また、ニューヨークのレストランでも、「料理とお酒はペアだから、ヘルシーな日本料理には日本酒を」とオーダーされる方が多いようです。
 そう考えますと、いわゆる「飲み放題」のお店でガブガブ……という飲み方ではなく、「おいしいお酒を、ちょっと飲んで、ちょっと楽しむ」という飲み方や、料理に合う日本酒をご紹介すれば、もっと召し上がっていただける余地はあるのではないかと思います。


  おいしい日本酒とは?おいしい飲み方とは?

上掛 いわゆる「おいしい日本酒」とは、どんなお酒ですか。

山本 日本酒にかんしては、「おいしいお酒」は2つあります。
 ひとつは、大吟醸など、香りも味もあって、飲むだけでおいしいお酒、もうひとつは料理や会話とケンカしないお酒といいますか、食べたり話したりしながら飲んでいておいしいお酒です。
 どちらも「おいしいお酒」ですが、まったくタイプが違いますので、召し上がるシチュエーションやお料理ごとに飲み分けていただくのが理想的です。
 たとえば吟醸酒のように香りの高いお酒は、最初のひとくちは圧倒的においしいはずですから、乾杯には向いていますが、しばらく食べながら飲んでいると、料理とケンカすることがあります。そういうときは銘柄を変えていただくといいですね。

上掛 ワインは、食前酒から魚料理、肉料理と、コースがすすむたびにワインの銘柄も変わりますが、日本酒もそうしたほうが楽しめますね。
 それから、二日酔いになりにくい飲み方の工夫があれば教えてください。

山本 お酒の合間にお水を飲んでいただくのが効果的です。そうすると、アルコールの吸収速度が遅くなりますし、脱水状態になるのを防ぐ効果もあるようです。酒の合間に飲む水を私どもは「和らぎ水(やわらぎみず)」とよんでいます。
 また、私自身は、宴会のように飲酒量が多くなることがわかっているときは、できるだけ燗酒(かんざけ)を飲むように気をつけています。冷酒は、最初はなかなか酔わない代わりに、ある時点で急に酔いが回りますが、燗酒は最初から酔うので、自分でセーブすることができるわけです。


  自分なりの楽しみ方で、適量の日本酒をゆっくり味わう

上掛 最後に、消費者がお酒とじょうずにつきあうためのアドバイスをお願いします。

山本 現代は、スピードが要求される時代で、食べものも「ファストフード」が全盛ですが、日本酒は長い時間をかけて楽しむ「スローフード」そのものですから、お料理との相性もふくめて、ゆっくり、じっくり楽しんでいただければと思います。
 また、酒器や、ちょっとした燗の温度の違い、冷やし方によっても、味が変わります。このごろは「ぐいのみ」がはやっていますが、「昔ながらの薄手の盃で飲むと、空気といっしょにお酒が入ってきて、口中で香りが広がる。ぐいのみは、酒を流し込むので、そういう楽しみがない」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
 燗酒にしても、ぬる燗、人肌燗(ひとはだかん)など、燗の仕方によって同じ銘柄でも味が変わりますので、昔はお店に「お燗番さん(おかんばんさん)」といって、専任の係の方がおられました。いまは「燗=熱燗(あつかん)」という感じになってしまって、楽しみ方が減っているのではないかと思います。
 ワインの場合、その銘柄を評価する言葉はたくさんあって、ソムリエも饒舌に語られますが、日本酒の味を表現する言葉は、「さわやか」「まろやか」「フルーティー」「口あたりがいい」「淡麗辛口(たんれいからくち)」など、わずかしかなくて、とかく、そうした世間の評価がひとり歩きしがちです。でも、そんなことは気にせずに、「私は、このお酒はこれぐらいの燗が好き」というふうに、ご自分なりの楽しみ方を見つけてくだされば、いちばんいいのではないでしょうか。
 とくに若い方は、安価な銘柄の日本酒からつきあいをスタートさせる方が多いかもしれませんが、お酒も、他の食品と同じく、値段と品質は比例しますので、できれば良質のお酒からスタートしてください。そうすれば、きっと、そのよさに気づいていただけるはずです。
 しかも、ワインであれば、フルボトル1本1~2万円するものも珍しくありませんが、日本酒の場合、4合ビンで5000円以上する銘柄は少ないので、けっしてワインとくらべて高価なわけではありません。
 それと、どんな食べものも適量が大切です。お酒も、適量であれば、お肌にもいいし、ガンも発症しにくいともいわれています。まさに「百薬の長」ですので、くれぐれも飲みすぎない程度にお楽しみください(笑)。

上掛 じつは今夜、学生のコンパがあって、私もよばれているのですが、「お酒は楽しく飲むものであって、飲まれるものではない」ということを伝えなければと思っています。
 また、せっかく京都の大学で学んでいるのですから、きょう教えていただいた京都のお酒にまつわるお話や、おいしく飲む方法も伝授したいと思います。勉強すると、お酒もいっそうおいしくいただけるということですね。
 本日はありがとうございました。



写真撮影・有田 知行


プロフィール:山本源兵衞(やまもと げんべえ)

(略 歴) 1951年 京都市伏見区上油掛町で生まれる。
1974年 同志社大学経済学部卒
      同年、株式会社高島屋東京店入社
1977年 同社退社
      同年、株式会社山本本家入社
1990年 同社代表取締役社長就任
1991年 11代山本源兵衞襲名(幼名:山本祥太郎)
2006年 伏見酒造組合理事長
2010年 退任
2010年 京都府酒造組合連合会会長
(現 職) 株式会社山本本家代表取締役社長
伏見銘酒協同組合理事長
伏見パック協同組合理事長

京都府酒造組合連合会会長
日本酒造組合中央会制度等委員会委員
京都商工会議所議員人材開発特別副委員長