「京都の生協」No.81 2013年8月発行 今号の目次

ていねいに暮らすこと、美しく暮らすこと、アートとともに暮らすこと
──「簡素さというぜいたく。愛着という豊かさ」とは?

 ようこそ、いらっしゃい!――明るい声にみちびかれて田中さんの自宅玄関に入ると、その先には緑の風がとおりぬける中庭と、壁一面に貼られた何枚もの美術展のポスター、棚や床に置かれたオブジェ、そして、恒子さんの満面の笑みがありました。
住居学の研究者・教育者として、ながらく大学で教鞭をとられた田中さんは、現代アートのコレクターでもあり、その自宅には教え子や若き作家たちがつどいます。大皿に盛られた、やさしい味のお昼ごはんは、生活を創造行為ととらえて楽しみ、アートと語り合い、子どもを愛し、自身の変化をも楽しむ田中さんの、ダイナミックさと滋味にあふれる姿そのもののようでした。


大阪教育大学 名誉教授
田中 恒子さん

京都府生活協同組合連合会 会長理事
上掛 利博

  変化こそ生きる楽しみ。人生を二度生きよう!

上掛 田中先生は、たびたび「田中恒子という存在が変化していくのがおもしろい。変化することこそ、人生の楽しみだ」とおっしゃっていますが、大学教員から現代美術の収集家へというのは、まさに大きな変化だと思います。

田中 わたしは、小さなころから絵を描くのが大好きでした。でも、大学教員をしているあいだは、学生とわたしがお互いに教え合い、変化し合う関係が楽しくて楽しくてしかたがなかったから、絵に向かう気持ちを封印していました。
ただ、いずれ定年退職をしたら、「人生を二度生きよう!」とは思っていました。現役をリタイアしても住居学の研究をつづける、という道もあったとは思いますが、わたしは、過去の実績に寄りかかって生きるのではなく、切磋琢磨せずにはいられない世界に切り込んでいこうと。
その「切磋琢磨せずにはいられない世界」というのが、わたしにとっては現代アートの世界だったというわけです。


  現代アートは語りかける――アートと暮らす楽しさ

上掛 評価の定まった美術作品がすでにあるのに、あえて現代美術に関心が向かわれたのはなぜですか。

田中 よく「印象派の絵はわかるけど、現代アートは全然わからない」とか「印象派の絵は好きだけど、現代アートはちょっと……」という話がありますよね。
でもそれは、印象派が生まれたヨーロッパの時代背景や、その時代に生きた作家の葛藤を理解したうえでの言葉でしょうか?わたしはそこがすごく疑問なんです。
現代アートの作品を見たとき、胸ぐらをつかまれたような気持ちというか、「あなたって、どういう人ですか?ぼくを理解できますか?」と問われているような気がしました。
わたしがアートにもとめているのは、「やさしさ」とか「わかりやすさ」ではなくて、わたしと育ち合い、高め合う関係性なので、そういう問いかけを発してくれる現代アートに惹かれるんですね。

上掛 「作品と育ち合い、高め合う」というのは、具体的には……。

田中 落ち込んだときにボーッと作品を見ていると、「しっかりしなさい。そんな時間があったら、何か行動しなさい」と、しかったり、励ましたりしてくれる。
たぶん、それはわたし自身が自分にいいきかせている言葉の投影なのだけど、作品に向かい合っているときはすごく素直になれるから、作品にいわれているような気がするんですね。
しかも、作品がかけてくれる言葉は、わたしの成長にともなって変化していくし、見えなかったものが見えるようになる。だから、アートというのは、とてもありがたい存在だなぁと思います。

上掛 なるほど、「アートと語り合う」ということですか。

田中 そう。それに、はじめて作品を買って、家に置いたときは、帰宅して作品に会うのが毎日の楽しみでした。
わたしの実の子どもは2人しかいないけれど、作品も家族だと思っているので、作品を買うたびにどんどん大家族になっていく。その家族たちが待っていて、学校でしんどいことがあった日でも、「ただいま。いま帰りました」というと、「おかえり」といってくれるんです。それがすごくうれしかったですね。(※)

「自宅から美術館へ」
田中恒子さんが収集された現代美術は、作家数100人・作品数約1000点をこえます。
奈良美智「どんまいQちゃん」、村上隆「MR.DOB」をはじめとする作品群は、2009年、和歌山県近代美術館に寄贈されました。
同年10月、「自宅から美術館へ」展が開催され、注目をあびました。

  「狭いから片づかない」のではない――簡素さというぜいたく

上掛 田中先生は、住居学者として、人の住まいのあり方について提案されてこられました。アートの存在は、「住生活の質」を上げてくれますか?

田中 もちろん! すでに美術館に寄贈したので家にはありませんが、以前、高松次郎さんの版画を居間に飾っていたんです。そのころは、いつも、その美しさに感動していましたね。「うわっ、きれい!」と(笑)。
アート作品を自分の生活スペースに置いていると、わたしも作品を見るけれども、作品もわたしを見ているような感じがする。その「見られている」という感じも、生活に緊張感が生まれて、すごく好きですね。

上掛 住まい方について、先生は「簡素さというぜいたく。愛着という豊かさ」という考え方を提示されていますね。

田中 それは、生活経済学者の暉峻淑子さんが書かれた『豊かさとは何か』(岩波新書、1989年)を読んだときに、「住居学者たる田中恒子は、この問いかけにどう答えるのか」と考えて、見いだした答です。
つまり、「愛着のないものをたくさん持っているのは貧しいこと。愛着のある少しのものだけに囲まれてすごすのがほんとうに豊かな生活なんだ」ということで、いまもそう思っています。

上掛 「簡素さというぜいたく」というのは?

田中 わたしは住み方調査をとおして、3畳一間の家から清家清さんという有名な建築家が建てた家まで、いろいろな日本の住宅に上がり込んで、その暮らし方を見てきました。そうすると、立派な家で、物質的にはとても豊かなのに、雑然と暮らしている人もいれば、逆に、6畳と4畳半の民間木造アパートで、きりっと暮らしている人もいるんですね。
この調査から、わたしは学びました。よく「うちは狭いから片づかない」という話が出るけれど、狭いから片づかないのではなくて、狭い空間に対応するような暮らし方のハウツーをつくっていないから片づかないのだということを。狭いなら狭いなりの物の持ち方があるはずで、ほんとうに必要な物だけを選んで持つことが大事だと思います。


  生活のハウツーは自分で創るもの

上掛 「生活の質」を上げる技術(ハウツー)は、少しは身につけたほうがよいのでしょうか。

田中 ハウツーは必要ですが、家事や収納のハウツー本に書いてあるとおりにする必要はありません。
わたしの家では、この引き出しには紙類、その隣の引き出しには電気関連品……というふうに、おおまかに分けて、バサッと収納しています。住んでいる人が「ひも類とテープはあの引き出しに入っている」とわかっていれば、それで十分ですから。
生活というのは、だれかに「こういうやり方をするんですよ」と教えられたとおりにやるものではなくて、自分で創るものですから、どうすれば心地よくすごせるか、どうすれば美しくなるか、どうすればおいしくなるか、自分であれこれ工夫してみることが大事です。
それはまさに創造行為ですから、お料理も、そうじも、生活はすべて創造だと思います。

上掛 つまり「生活を創造する」というのは、生活を楽しく美しいものにする工夫のなかで、「知恵や心を遣っていく」ということですか。

田中 そう。たとえば、わたしはお客さまが大好きだから、みなさんに召し上がっていただくお料理をつくるのも大好きです。お金のかかる高級食材は使っていません。高級食材を使うと、「お客さまのたびにお金がかかるわ」と思って、だんだん、よばなくなるでしょ? それよりも、「ふつうのものですけど、どうぞ」といってお出しするほうが長続きするから、わたしはお金を使わない代わりに心を遣っています。

上掛 なるほど、「お金ではなく心を遣う」、それが「簡素さというぜいたく」の中身ですね。

田中 そう思います。それから、テーブルや床をきれいに拭いたり、物を整理整頓するのは、ていねいに暮らすうえでの第1ステップですが、第2ステップは生活をより美しくすることだと思います。
たとえば、お花を一輪飾ったり、見えないほうがよいと思うものは隠したり、見えたほうがいいものは、より美しく見えるような置き方を考えてみたり、そういう工夫は、それぞれの人の好みで決めればいいので、ハウツー本に正解が書かれているわけではありません。

上掛 お客さまを招くのが好きだということは、この家がかもしだすオープンな雰囲気からも、よく伝わります。

田中 玄関に立つと、中庭の向こうに居間が見えて、なんとなく雰囲気が伝わるでしょ? いつも、だれにでも開かれた家にしたかったから、居間にいても玄関のようすがわかるような設計にしました。でも、狭くても、人が集まりやすい家はできますよ。
わたしたち夫婦が結婚生活をはじめたのは6畳と4畳半の木造アパートでしたけど、10人以上の人が集まって、みんなでくっついて話したり、ご飯を食べたりしていました。狭くても、みんなが「楽しい」といって、来てくれたんです。みんなが気持ちよく来てくれる家は、狭いからできないということではないと思います。


  ほんとうの「学び」は、生活を変える力をもっている――「窓はなぜあるのだろう」の授業づくり

上掛 さきほど、「生活というのは、だれかに正解を教わるのではなく、自分で創造するもの」というお話がありました。
これまで、何かを学習するときに、「正しい答えをみんなで学びましょう」という姿勢がつよかったのですが、これからは、そうではなくて、「なぜ、こうなっているのか」とか、「違う立場や観点から見れば、どう見えるのだろうか」というような、もう少し〝深い学習〟が大事ではないかと思うのですが。

田中 わたしも同感ですし、そういう学びに有効なのはワークショップ型、体験型の授業ではないかと思います。
というのも、大学教員のとき、小学校の先生たちと共同で、5年生向けに「窓はなぜあるのだろう」という授業づくりをしたことがあります。
窓の働きは季節によって違うのか、外の景色が見えることで人間の心理状態も変わるのか、といったテーマについて学んだあとで、冬の換気の大切さと窓の換気機能について、いろいろな実験を通して学ぼうという授業です。

上掛 その事例については、わたしも『くらしと教育をつなぐWe』という雑誌で読んだことがあって、なるほどなぁと感銘をうけました。寒い冬に窓を開けても、窓を閉めた3分後には室温が戻るということを、実験を通して学ぶという授業ですね。

田中 そうなんです。換気扇を回すだけでは空気が空回りしているだけで、じつは換気はできていない。窓は空気の出入り口としての機能ももっている。そういうことを教えるために、実際に煙をたいてみせると、子どもたちは納得します。
その次に、「空気を入れ換えるために3分でいいから両側の窓を開けましょう」というと、子どもたちは「寒いー! そんなこと、できへん」といっせいに声をあげるけれど、「いや、閉めたとたんに暖かくなるよ。やってみようね」といって、3分だけ、パッと窓を開ける。
そうすると、開けた瞬間に寒くなるのではなくて、徐々に寒くなる。でも、窓を閉めたとたん、子どもたちは「あれっ?! 寒くない」と気づくんですね。それで、温度計で室温を確認させて、「じつは壁や床や机やみんなのからだから熱を放出するの。だから、部屋の温度はみるみる戻るのよ」と話すと、子どもたちは感動します。
冬の換気の大切さを熱心に説いておられた養護教諭の先生は、それまでいうことを聞かなかった子どもたちが、この授業を受けてから変わったということを、手紙で教えてくださいました。この授業で学んだ子どもたちは、6年生になっても、先生がひとこと、「5年生のときに学習したね」というだけで、冬でも窓を開けるそうです。
子どもたちは、「換気をしなさい」と命令されても動かないけれど、理解したり、感動したら窓を開けるんですね。だから、ワークショップのような、少し踏み込んだ学習は、生活を変える力をもっていると思います。


  だれでも変わることができる。その変化を楽しんでほしい。

上掛 田中先生のコレクションは、若い作家の作品が多いように思います。とくに若い人たちに伝えたいことは?

田中 わたしは若い人たちが大好きだし、彼らと育ち合いたいという気持ちはいまもあります。それはたぶん、大学教員だったからでしょうね。だから、村上隆や奈良美智の作品も初期に買いました。そのころの彼らは「アート熱中少年」そのものでしたよ(笑)。
退職前の3年間、大学の附属中学校の校長を兼任したとき、周りから「風変わりな校長だ」といわれました。というのは、いつでも子どもたちの話を聴けるように、校長室を開放したんです。
そうやって子どもたちの話に耳を傾けるうちに、多くの子どもたちは自分が愛されていることに気づいていなくて、それが子どもたちを苦しめている、ということに気づきました。
子どもたちが親に愛されていると実感しにくい背景には、しばしば命令的な人間関係が存在しています。受験校の選択も、子ども自身の意志ではなく、親の望みだったりするわけです。でも、人は、命令的な人間関係のもとでは伸びないんですね。
だから、現役の教師として教壇に立っている教え子たちが家に来ると、わたしは「子どもたちに、君のことを愛していますと伝えなさい」といいます。自分は愛されているのだと子どもたちに気づいてほしいし、親や教師はそれを伝えるべきだと思います。
それと、親は子どもを口先でほめるのではなく、実物を見ながら、ちゃんと認めてあげてほしい。わたしの子どもが小学生のころ、図画工作の授業で描いた絵を返してもらうと、必ず子どもの目の高さのところに貼って、「これ、ほんとに上手に描けてるね」とほめていました。それだけで子どもはワクワクするんです。
「こんな下手な絵を飾るなんて」と捨ててしまうお母さんが多いけれど、すごくもったいないと思います。

上掛 それこそ、「愛着という豊かさ」の実践ですよね!

田中 そうですね。子どもの作品は「宝物」ですから、そこに「豊かさ」を見いだしてほしいですね。
もうひとつ、どうしても若い人に伝えたいのは、生きることのおもしろさは自己変革のなかにあるということです。自分は変わりつづけることができる。そこに人生のおもしろさがあるのだから、いまの自分を「ぼくは無力だ。能力がないんだ」と固定的に見ないでほしい。わたし自身、いまもまだ、日々変わりつづける自分に向き合っているし、たぶん死ぬまで田中恒子の可能性って何だろうと追求していると思います。

上掛 「変わること」のほうが、自分を固定的にとらえるよりも、ずっと楽しいでしょうね。恒子先生のお話をうかがって、生きること=「くらし」というのはとても総合的で創造的なものなのだということをあらためて考えさせられました。どうもありがとうございました。

写真撮影・有田 知行


プロフィール:田中恒子(たなか つねこ)

(略 歴)       大阪市に生まれる。
1963年 大阪市立大学家政学部卒業
      京都大学工学部建築学科研究生
1965年 京都大学工学部建築学科建築計画研究室文部技官
1988年 奈良教育大学教育学部講師・助教授・教授(家庭科教育法・住居学)
1995年 大阪教育大学教育学部教授(家庭科教育学)
2003年 大阪教育大学附属平野中学校長・附属高校平野校舎主任
2006年 大阪教育大学名誉教授
◎美術活動 ・日本人現代美術作家の作品を初めて購入する(1989年)
・枚方市御殿山生涯学習美術センター運営委員
・「美術館にアートを贈る会」副理事長
・国立国際美術館評議員
◎生協活動 ・くらしと協同の研究所理事・研究委員会委員
・全国大学生協連女性の眼委員会委員長
・奈良教育大学生協理事長
 など歴任
◎おもな著書 『新しい住生活』(連合出版、1983年)
『住まいと子育てノート』(新日本出版社、1991年)
『あなたが住居の主人公になるために』(大蔵省印刷局、1992年)
『育ちあいの家庭をつくる』(かもがわ出版、1997年)
『家族と健康にやさしい住まい』(福田啓次ほか共著、かもがわ出版、1998年)
など、多数。