「京都の生協」No.86 2015年4月発行 今号の目次

障害のある人もない人も安心してくらせる社会に
──聴こえない人によりそい、ともに歩む──

  阪神・淡路大震災を経て、テレビの災害情報はL字型の流れ続けるテロップ画面に変わり、片隅には手話画面がつくようになりました。電車に乗ればドアの上に、次の停車駅がデジタル表示されています。こうした改善は、聴こえない人たちの要望によって進み、聴こえる人の生活にも役立っています。
 障害のある人がくらしやすい社会は、そうでない人にとってもくらしやすい社会なのだということを痛感した対談でした。
(この対談は、柴田さんがいこいの村聴覚言語障害センターの所長を務めておられた2015年2月23日に、いこいの村の障害者支援施設「たからの里」で収録しました。柴田さんは、今年3月に京都府立大学大学院の修士課程を修了されましたが、その指導教授が上掛会長理事でした)


京都府生活協同組合連合会 会長理事
(京都府立大学公共政策学部教授)

上掛 利博

京都府聴覚言語障害センター 所長
(社会福祉法人京都聴覚言語障害者福祉協会理事、
前いこいの村聴覚言語障害センター所長)

柴田 浩志さん
綾部市の概要 ※綾部市公式ホームページより抜粋(http://www.city.ayabe.kyoto.jp/index.html
●京都府の中央北寄りに位置する。
面積:347.11平方キロメートル
●綾部市の推計人口(2015年3月1日現在)
総数:33,942人 / 世帯数:14,003世帯 / 高齢化率:32.1%(2011年3月末)

  聴こえない人のくらしを支える「いこいの村」

上掛 先ほど昼食に、石窯で焼いたピザとパンをいただきましたが、薪の香りが鼻腔をくすぐるピザや、もっちりした食感のパンは、やみつきになりそうです(笑)。

柴田 ありがとうございます(笑)。ピザの具材のピーマンと玉ねぎは、いこいの村で栽培したものなんですよ。
  この「たからの里」は、もともとお寺が運営する保育園でしたが、少子化で7年ほど前に閉園になり、いこいの村に譲渡の申し入れがありました。われわれとしても地域の貴重な財産を活用したいということで、いこいの村の障害者支援施設「栗の木寮」の分場として使うことを考えていたところ、地元住民の方が窯の設計からパンの焼き方、アレンジパンのレシピまで、すべて教えてくださったのです。
 今後はカフェと石窯焼きパンの販売だけでなく、お米や野菜など地元産品も置いて、地域の魅力発信の一助になればと思っています。多目的ホールや体験用キッチン・石窯もあるので、地域の方がたにもどんどん活用していただきたいですね。

上掛 「いこいの村聴覚言語障害センター」(※注1)には、「たからの里」以外にもいろんな施設があるようですが、全体の概要を教えてください。

柴田 運営主体は社会福祉法人「京都聴覚言語障害者福祉協会」で、栗の木寮(障害者支援施設)とその分場のたからの里、梅の木寮(特別養護老人ホーム)、桃の木寮(地域交流施設)、デイサービスセンター、在宅介護支援センター、地域包括支援センター、認知症グループホーム、グループホームが、綾部市の上林地域に点在しています。
  法人の理事12人のうち、8人が聴覚・言語に障害のある方で、当事者の方を中心に、当事者のニーズに合った施設運営をするという理念のもとに事業を展開しています。

※注1
運営主体は社会福祉法人「京都聴覚言語障害者福祉協会」。法人の前身は京都府ろうあ協会で、1978年に京都市聴覚言語障害センターの運営主体として同法人が設立された。いこいの村は、同法人の府北部の拠点施設として、綾部市の口上林地域において、1982年の栗の木寮から開設が始まり、現在は9施設で構成。職員数は約200名(うち正規雇用は約130名)、入所利用者数は約150名。

  地域と施設をつなぐ「いこいの村新聞」

山ぶどうコッペ、くるみパン、全粒粉パンなど
バラエティー豊かなパンが並ぶ。

上掛 いこいの村ができたことで、上林地域にくらすみなさんの、障害のある方たちへの認識は変化しましたか。

柴田 わたしどもは「いこいの村新聞」という広報紙を毎月6500部発行して、とくに上林地域には全戸配布をしています。この新聞には各部署の責任者が書くコーナーがあって、わたしも「老人ホームで火災が発生した」とか「利用者の方が行方不明になった」「建物から漏水が発生した」「利用者と悲しいお別れをした」などと日々のできごとを書いていたら、そのたびにいろいろな人から「柴田さん、たいへんやなあ」と声をかけられました。けっこう細かいところまで読まれているんだなあと実感します。
  わたしたちの施設は、できるだけ閉じないでオープンにしようということで、新聞に載せる写真や名前も、ご本人の了解をとったうえで、可能なかぎり実名にしています。寄付をくださった方についても、匿名ではなく実名で載せるので、ときどき「この前、野菜を寄付したけど、わたしの名前が載ってへんよ」と言われたり(笑)。
  そういうやり取りを見ていますと、いこいの村ができたことで、障害のある方がたやその施設への理解が進んだのではないかと思いますし、ホームページやフェイスブックなども活用して、地域の方がたとのつながりを深めていきたいと考えています。


  いこいの村と生活協同組合のつながり

上掛 生活協同組合も、しめ縄やピーマンや玉ねぎの産直、新入職員研修などを通じて、いこいの村とつながってきましたね。

柴田 栗の木寮ができた3年後の1985年から京都生協の職員研修を受け入れて、農作物の販売は83年ごろから現在までお世話になっています。先日、コープ二条駅やコープ下鴨で「いこいの村のピーマン」という札を立てて売ってくださっているのを見て、たいへん感激しました。
  昨年からは生協組合員とその子どもたちを対象に、たからの里で石窯ピザの体験交流を始めています。いこいの村で玉ねぎの収穫作業をして、自分たちで生地をこね、それを焼いて、食べて、交流するのですが、最近は玉ねぎを引き抜いたこともない子どもたちが多いので、とても喜ばれます。

上掛 2013年度の京都府立大学の地域貢献型研究では、京都府北部の聴覚障害児 ・者の実態調査を柴田さんと一緒におこないましたが、京都生協からも委員に参加していただきました。(※注2)

柴田 これは昨年、府北部の5市2町で、障害者手帳をお持ちの聴覚障害児・者1796人を対象におこなった調査ですが、京都生協・廣池孝之両丹ブロック長が参加してくださって、とても心強く思いました。生協は、くらしそのものに関わる事業をされているので、とくに過疎地域でのくらしの支え方を一緒に考えていただきたいと思っていました。

上掛 調査の結果、どんなことが明らかになりましたか。

柴田 回答を寄せてくださった成人852人のうち約6割が80歳以上で、耳が聴こえないだけでなく足腰も弱り、医療や移動支援といった複合的なニーズを持っておられることがわかりました。
 また、聴覚言語障害者団体に入っている人の割合は、京都市内の5・6%に対して、北部は10・5%で、北部のほうが組織率が高いという結果が出ました。
 交通の便が悪く、高齢化が進んでいるにもかかわらず、人とのつながりは非常に濃密だというのは、北部地域の特徴ですね。

※注2
『京都府北部における聴覚障害児・者の社会参加促進に関する実態調査』2014年(京都府立大学附属図書館、京都府生協連にあります)

  手話との出会い

上掛 柴田さんが、手話と出会われたきっかけは?

柴田 わたしは北海道の名寄市の出身で、早稲田大学をめざして東京で浪人生活を送っていたのですが、そのとき、たまたま「手話を学びませんか」というような新聞記事を目にしたんですね。手話はまったく知らなかったのに、なぜかとても惹かれました。結局、早稲田よりも合格発表が早かった同志社大学に入学金を払ってしまったので、そのまま同志社に入ることにしたのですが、その入学式のガイダンスで、聴覚障害の子どもたちのサポートをしているボランティアサークルの紹介を聞いて、「やってみたいな」と思ったわけです。それと、わたしは文学部でしたが、法学部の同学年に聴覚障害の学生がいて、彼と関わるようになったこともきっかけのひとつですね。
 そういうわけで、大学入学時から手話を学び始めて、「みみずく会」という手話サークルにも通っていました。
 そのような経過もあって、卒業する前年には京都ろうあセンターから「うちでアルバイトをしないか」と声をかけられ、アルバイトをし、そのまま京都ろうあセンターに就職しました。


  手話は言語のひとつ

入所されている方と手話での会話

上掛 府立大学の新入生研修に「いこいの村」から来ていただきましたが、聴こえない方がたは、昔は教育を受ける権利が奪われていたので文字を学習する機会がなく、筆談ができない人も多いことに学生たちは驚いていました。

柴田 京都府立ろう学校が開設された明治初期の1878年当時は、現在の指文字と似た手勢法という教育指導法が採られました。その後、聴こえなくても話せるようにと口話教育が日本に導入され、手話は禁止されましたが、ろうあ者の方がたの集団内では手話がずっと存在していました。
  いまは「手話で教えてもよい」とされていますが、いまだ手話で教育を受ける権利は明記されていません。聴こえる人の世界でも、たとえば英語を話せない人が海外で英語ばかりの世界にいると大きなストレスを感じるのと同じように、ろうの人たちの集団のなかに手話ができない健聴者がひとりでいれば、周囲の会話が理解できず、かなり疎外感を抱くと思います。ろうの人たちは日常的にそういう疎外感にさらされているのですから、少なくとも手話で教育を受ける権利、手話で自由にコミュニケーションがとれる権利は認められるべきではないかと思います。

上掛 柴田さんは1999年に、手話の研究でフィンランドに3カ月間滞在されていますが、フィンランドの手話事情はいかがでしたか。

柴田 公用語はフィンランド語とスウェーデン語で、手話は言語としてその存在が憲法で保障されています。日本の手話通訳は主にボランティアの方がたが担っていますが、フィンランドでは99年当時でも、2年半から3年間の学習カリキュラムを持つ短期大学のようなところで手話通訳者を養成していました。
 教育を受ける形態も、日本とは違って、フィンランド語で受けるのか、手話で受けるのかを当事者が選択し、手話を選択した子どもについてはろう学校で手話で教育をすることになっています。

上掛 テレビで子ども向け手話ニュースを見ていると、目の表情やしぐさがとても豊かで楽しく、手話もひとつの表現方法であり文化なのだという感じを強く持ちました。

柴田 手話は視覚言語ですから、われわれも表情や目のしぐさには気をつけます。
 手話にも方言がありますが、その一方で、テレビで手話による放送が始まった1970年代後半から「標準手話」が生まれています。
 「エイズ」「スマートフォン」といった新しい言葉も出てくるので、そのつど手話研究所を中心に、新語に対応する手話を創り、『手話辞典』(『新・日本語手話辞典』中央法規出版、2011年)などで普及する取り組みがおこなわれています。


  聴覚障害者が安心してくらせる社会は、だれもが安心してくらせる社会

上掛 いま介護分野で注目されている「地域包括ケア」は、「だれもが安心してくらせる地域づくり」と言い換えてもよいと思いますが、「医療」や「介護」が話題にされるほどには、「福祉」すなわち人間の幸福の問題があまり考えられていないことが気がかりです。

柴田 いまだに福祉を利用することに抵抗を感じる方がたくさんいらっしゃいますね。できるだけ福祉と距離を置こうとする方が多いので、わたしどものような施設が地域との関わりを強め、敷居をどんどん低くしながら、ふだんから制度やサービスを活用することによって、くらしを支えられるようになればと思っています。
  聴覚障害についていえば、ろう学校を卒業した人は横のつながりがあって情報交換もわりあい盛んですが、最近進められているインテグレーション教育(統合教育)で地域の小中学校を卒業した人は情報を得にくいという状況があります。そういう若年層に対するつながりづくりや情報獲得という課題とともに、高齢になってから耳が聴こえにくくなった老人性難聴の方がたへの支援も求められています。

上掛 これから社会全体で高齢化が進むと、一般の人びとも老人性難聴になる可能性が高いわけですから、けっして他人事ではありませんね。

柴田 まさにそのとおりでして、たとえば最近、電車に乗ると次に停まる駅がデジタル表示されるようになりましたが、これは聴こえない人たちに役立つだけでなく、耳が遠くなりかけたお年寄りにも、車内放送を聞き逃したときにも、とても助かります。
 緊急時の避難についても、京都駅前の地下街ポルタの電光掲示板の時計は、ふだんは時刻がデジタル表示されますが、災害時には緊急情報の文字が流れますし、京都市役所前の地下街ゼスト御池の通路には光誘導装置があって、火災時などには光で避難口に誘導するようになっています。
  テレビ報道も、阪神・淡路大震災までは字幕も手話もありませんでしたが、聴覚障害者団体の方々が「手話と字幕をつけて放送してほしい」と強く要望され、いまでは災害時のテレビ画面にL字型のテロップ画面が出て、緊急情報を一定時間、流し続けるようになりました。通信手段という点では、京都府は登録さえすれば災害情報が自動的に届くようにと、緊急時のエリアメール配信を始めています。
 こうした取組みは、聴覚に障害のある人たちのためだけでなく、市民全体の安全にも寄与することだと思いますが、残念なことにあまり知られていません。福祉は特別な人たちのためだけにあるものではないので、市民のみなさんも関心を持っていただきたいなと思います。


  どこに住んでいても等しくくサービスが受けられるように

上掛 この4月から柴田さんは、城陽市に開設される京都府聴覚言語障害センターの所長として赴任されますね。

柴田 はい、5月に開所式をする予定で、いまはその準備におおわらわというところです。
 わたしたちの法人は、どこに住んでいても均等にサービスが受けられるようにということで、北部はいこいの村を中心に各地域に聴覚言語障害センターの設置が進み、京都市にも聴覚言語障害センターがあるのに比べて、南部は施設整備が遅れていました。
 そこで、2005年に南部の実態調査をおこなった結果、南部に情報発信・高齢者支援・地域住民の交流などの機能を持った施設が必要だという課題が見えてきました。その実現にむけて話し合いや行政折衝を重ねましたところ、各自治体も京都府に要望をあげてくださって、ようやく一昨年、JR城陽駅前の京都府の所有地に南部の拠点施設を整備することが決まりました。
 南部の拠点施設は、聴覚障害者情報提供施設に加えて、聴覚障害の子どもたちのサポートセンター、就労支援のためのカフェ、地元の方がたが利用される地域活動支援センター、さらに視覚障害の方がたのライトハウスの南部分室も併設された、総合的な施設となります。偶然にも、お隣は京都生協のコープ城陽のお店です。

上掛 10年前の南部の調査(『聴覚障害児・者の社会参加の促進に関する実態調査』2005年)も、柴田さんと一緒に取り組みましたが、調査の前に当事者も交えた学習会を何度も重ね、行政の協力も得て、資料的にも意味のある調査にすることができました。
 調査結果を地域に出かけて広める運動にも取り組みました。
 そうした調査活動が南部の拠点施設の整備につながったわけですが、大学の研究者として研究結果が実際の政策に結びつき、みなさんのお役に立てたとしたら、こんなにうれしいことはありません。
 人間の幸福の実現にむけて、多様な方たちと協同していければと思います。ありがとうございました。


写真撮影・豆塚猛


プロフィール:柴田 浩志(しばた ひろし)
1954年北海道名寄市に生まれる。1978年4月社会福祉法人京都聴覚言語障害者福祉協会に採用され、2009年4月から、いこいの村聴覚言語障害センターに単身赴任。
 今春から城陽市に開所した京都府聴覚言語障害センター所長に就任。京都府立大学大学院公共政策学研究科博士前期課程修了。現在妻と娘の3人暮らし。