「京都の生協」No.90 2016年8月発行 今号の目次

森をまもることは、人のくらしをまもること
── 森がわたしたちのくらしを支えている──

 夏になると、無垢材の床が素足にここちよく、暑さをやわらげてくれます。この木は、どんな森で育ったのだろう―。只木さんのお話をうかがいながら、ふとそんなことを考えました。
 森は、材木を生みだすだけでなく、大気を守り、気候を安定させ、質のよい水を提供し、土砂崩れを防ぎ、美しい景観でわたしたちを和ませてくれる、まさに人間社会の礎です。今回の対談では、森について学ぶことは世界を学ぶことに等しく、森をまもることはわたしたちのくらしをまもることに等しい、ということを教わりました。


京都府生活協同組合連合会 会長理事
(京都府立大学公共政策学部教授)

上掛 利博

京都府立林業大学校 校長
只木 良也(ただき よしや)さん

  森が育てる「東洋型思考」

上掛 只木さんのご著書『新版 森と人間の文化史』(NHKブックス、2010年)を拝読して、「砂漠―西洋型思考」と「森林―東洋型思考」をあわせ持つことが理想だ、というご指摘に惹かれました。それぞれの思考の型にはどのような特徴があるのでしょうか。

只木 まず「砂漠―西洋型思考」について申しますと、水も緑もない砂漠では、どちらに進めばオアシスがあるかを判断することが非常に重要で、その選択を間違うと命を失ってしまいます。その一方で、砂漠は視界をさえぎるものがないので、鳥瞰的に全体を見渡すことができます。

 つまり、乾燥した砂漠においては、別れ道に来たら右か左かの択一的判断が求められて、それを間違うと、すべての生命は干からびてしまい、二度と再生しない。頼れるものは自分だけだし、失敗は許されない。鳥瞰的に大局をみて、的確な判断を下さねば生きていけない。こういう思考が砂漠で生まれて、それが西に進み、同じく乾燥したヨーロッパ(降水量東洋の1/2~1/3)で花開いて西洋型の思考となりました。

 一方、東洋は、湿潤な地帯ですから、森林の再生・繁茂は容易です。枯れて倒れた木の幹にほかの木の種が落ちて、それが芽を出す(倒木更新と言います)例も多く、そんなことから、命はいったん死んでも復活・再生するという輪廻転生の思想が生まれました。また、うっそうとした森林内は、見通しがきかないので、何度も迷い、試行錯誤しながら進むしかないが、砂漠と違って、そういう繰り返しが可能です。試行錯誤可能、個々の問題に柔軟に対応できるのも、森林型思考の特徴です。

 ちなみに、地理がご専門の鈴木秀夫先生は、東洋文化の基盤である湿潤域の森林の思考は、見通しのきかない森の中で迷いながら、忽然と桃源郷に至るものであり、それは「分かりません(右か左か、黒か白か分けない)」という表現が成り立つ思考だとおっしゃっています。


  人と森のふれあい方はさまざま

上掛 わたしはノルウェーで家族とくらしたことがありますが、ノルウェーの人たちは週末になると、ショッピングに行くのではなく自然の中で過ごすことを楽しみます。友人宅に招かれたときも、途中で1時間ほど森を散歩してお茶を飲むというのが恒例でした(笑)。

只木 わたしの先輩がドイツの田舎町のホテルにチェックインしたときも、初めて泊まる客であるにもかかわらず、フロント係は「明日は土曜日です。どこの森に行きますか」と聞いたそうです。それぐらい、ヨーロッパでは森に出かけることが当たり前になっているんですね。

 ヨーロッパの森はカラリとした落葉樹林ですから、気持ちがよくて、接しやすいのでしょう。日本、とくに西日本や南日本の森は、シイやカシなどの常緑樹林ですから、暗くて、湿っていて、ヘビもいたりして、人間にはあまり好まれませんが。

上掛 そのような違いが、人と森の関係に影響を与えているのでしょうか。

只木 それはあると思います。ヨーロッパは、降水量が少ないので、そもそも森林が生成しにくく、いったん壊してしまうと回復しにくい。それなのに、丘陵地をつぶして、傾斜地でも栽培できる麦畑をどんどんつくり、肉食に必要な畜産物を得るために牧場をつくるなどした過剰な開発のせいで、250年ぐらい前に土砂崩壊や洪水が頻発しました。そこでヨーロッパ諸国は森林の回復と緑化に取り組みはじめて、現在の「自然保護」の取組みへとつながっています。日本人がヨーロッパを旅して「緑がいっぱいだ」と感じるのは、ヨーロッパでは人間の生活の周りに森をつくっているからです。

 日本においても、地方によって森との接し方が違っていて、東北の人は気楽に山に入り、ふだんから山菜採りなどによく出かけますが、関西以南の人はあまり山に入りません。北のほうの森は、明るくカラリとした落葉広葉樹林ですが、南下して来るとよく繁った照葉樹の森になるので、「こんなうっとうしい森は、さっさとつぶして、別のものをつくったほうが文化的だ」となってしまうのでしょう。

 というのも、日本のように降水量の多い国では、放っておいても森林ができるから、森はありふれたもので、むしろ森から抜け出したいという感覚があるのかもしれません。でも、わたしは、森が「ありふれたもの。空気のような存在」だということに大きな意味があると思っています。「空気のような存在」それには「ある日それが無くなったとしたら」という意味も持っているからです。


  林業は「持続可能性」を基礎にすえて

上掛 「森が空気のような存在」というのは、森林が地球環境の保全にも大きく貢献している大事な存在だと理解して良いでしょうか。

只木 そのとおりです。たとえば地球上の炭素の多くが森林に集まっていて、森林が破壊されるとそこに貯えられていた炭素は二酸化炭素化して大気中に出てしまいます。二酸化炭素は温室効果ガスですから、二酸化炭素の濃度が高まっていけば、気温の上昇が原因して、急激な気候変動をもたらすおそれがあります。

上掛 日本でも豪雨が頻発しており、気候変動の影響が現実のものとなりつつあるように思います。それをくい止めるためにも森林を保全・再生しなければなりませんが、そのカギとなるのは何でしょうか。

只木 ひとことでいえば「サスティナブル」ということだと思います。1992年にブラジルのリオで「地球環境サミット」が開かれたとき、「サスティナブル・ディベロップメント」という言葉が流行りました。これの本来の訳語は「持続可能な人類の発展」ですが、これを日本の省庁の多くは「持続可能な開発」と訳しました。「開発」を国語辞書で引くと、「山野を切り開いて、新しい産業を興すこと」というような意味が書かれています。そうすると、森は邪魔者で、森を壊して別の何かをつくることが開発だということになります。

 しかし、森林は、邪魔者どころか、環境保全に大きな役割を果たしているのですから、森を維持していくためには、資源を使いきらずに少しずつ残さねばなりません。つまり、1年間に幹が太った量よりも少なく伐採すると、資源は残って、少しずつ増えていきます。

 日本は、ドイツ林業を学んだとき、森林の成長量以下で利用するという意味の「保続」という言葉を輸入しました。これがまさに「サスティナブル」ということであり、林業の最も基本とする考え方です。これをきちんとまもっていれば、資源は枯渇しないし、人のくらしも、人口爆発さえなければ、いつまでも保つことができます。


  森の維持・再生のカギは、林業者の生活安定

上掛 只木さんは日本社会について、砂漠―西洋型思考の「鳥瞰的に大局をみる」という本質を活かさないで、択一的な解決だけを取り入れた結果、ぎすぎすした競争社会になったとも指摘なさっています。

只木 われわれ日本人は、明治以来、ヨーロッパを先進国だと思い、ヨーロッパのやり方を懸命にまねてきました。とくに戦後昭和40年代以降も、社会のあらゆる面で、○か×か、右か左か、開発か保全か、という二者択一的思考が幅をきかすようになって、大局を見る砂漠―西洋型思考の長所は取り入れないまま、択一的な思考だけに走ってしまった。その結果、余裕のない競争社会になったのではないか。そんな気がします。

上掛 それは、日本の森林政策にも影響しているでしょうか?

只木 戦後は物資不足でしたから、スギやヒノキなど必要な材木を手っとり早く採るために、人工林をつくりました。拡大造林政策といって、空き地に木を植えるだけでなく、雑木林を切り開いたり、牧場に木を植えたりして、森林面積の40%が人工林になったのが現状です。

 その一方で、木材不足に対する緊急対策としての昭和38年の材木の貿易自由化で、安い外国産材が大量に入るようになり、国産の材木は使われなくなりました。いま、ようやく人工林の材木が使えるまでに成長しましたが、外国産材のほうが安いので、日本の林業は衰退しています。国土の3分の2が森林であるにもかかわらず、平成18年には材木の自給率が20%を切りました。

 現在ようやく自給率は30%まで回復しましたが、われわれは大局的観点に立って、森林資源のあるべき使い方やまもり方にきちんと向き合わないといけない。いかに森林国といえども、このままでは、やがて森の健全性を保てなくなり、人のくらしにも大きな影響が出るのではないかと危惧しています。

上掛 このごろは防災面でも、森林の役割が見直されるようになりました。

只木 土砂崩壊防止という役割もありますし、水源涵養の機能によって洪水や渇水を防いでもいます。

 余談ですが、わたしが林業試験場にいたとき(1972年)、森が貯めている水の量をダムに換算したり、森が供給する酸素を酸素ボンベの価格に換算するなどして、森林の経済的価値を試算すると12兆8000億円にもなりました。その後、物価スライドし、日本学術会議(2001年)は、計算をやり直して、70兆2000億円と算出しているのですが、こうした環境保全の機能も、材木やキノコと同じく「林産物」であり、われわれの生活の持続可能性に大きく貢献しているのですから、それをきちんと評価し、対価をペイバックする仕組みが必要だと思います。

上掛 京都府でも、今年から森林税が導入されました。

只木 そうですね。すでに全国各地で導入されていて、京都府は35番目です。ただ、森林税で得た財源を森林整備に回すという考え方はいいのですが、額としてはまったく足りない。林業に携わる人たちが森をまもってくれているのですから、まずはその人たちが林業だけで生活を営めるようにするのが課題だと思います。


  森林県としての京都

上掛 京都では、古都としての魅力だけでなく、農林漁業の豊かな蓄積にも焦点をあてようということで、府全体で「もうひとつの京都」キャンペーンがおこなわれ、昨年の「海の京都」に続いて、今年は「森の京都」が取り組まれています。

只木 これはすばらしい取組みで、「森の京都」という側面が日本中に知られるのはうれしいのですが、わたしは京都府民のみなさんにこそ知っていただきたいと思っています。

 というのは、京都府の面積に占める森林の割合は75%で、全国平均の67%に比べると森林率はぐんと高いのに、府民のみなさんには「京都府は森林県だ」という意識があまりないような気がするのです。京都は、昔から林業県だったし、いまも丹波地方では材木を生産していますし、府内で排出する二酸化炭素の8%以上は京都の森が吸収しているにもかかわらず、です。

上掛 そういえば、「丸太町」という地名は…。

只木 丹波地方から産出した丸太を、保津峡を筏で流し京の都に運んだ名残です。それほど京都と森林の関わりは深くて、森は京都のまちづくりをサポートしてくれたのですから、「森の京都」の取組みをきっかけに、森林県としての認識を府民のみなさんがもっと持ってくださればと期待しています。


  林業大学校が育てる「林業のプロフェッショナル」

上掛 只木さんが校長をなさっている京都府立林業大学校は、いつできたのですか。

只木 2012年に開校しました。高校の新卒者などを対象に、2年の修学期間で林業の専門家を育てる森林林業科と、森林組合の職員や新規林業就業希望者、森林ボランティアの方などを対象にした研修科があります。

上掛 森林林業科の学生さんは、京都府内出身の若者たちですか?

只木 いまのところ、府外の出身者のほうが多いですね。やはり、「京都」という響きに釣られるのでしょうか(笑)。定員20名のうち、毎年2~3人は女性で、なかには高知県から4年制大学を卒業後に、林業をめざして本校に入学した人もいます。彼女はいま、地元の高知県の森林組合で働いています。

上掛 やはり、森林組合に就職する人が多いのですか?

只木 いちばん多いのは森林組合ですが、木工所や造園関係など多岐にわたっています。ただ、公務員になる学生が少ないのは残念です。林業機械の操作に関する授業が多いので、採用試験対策の勉強がなかなかできないのかもしれません。その代わり、所定の授業を受ければ府独自の認証制度である高性能林業機械操作士・森林公共政策士という資格も取得できて、現場では即戦力として歓迎されています。学生諸君はみんな、意欲的に学んでいますよ。


  消費型社会から循環型社会へのシフト

上掛 協同組合としては、奈良県の生活協同組合と農業協同組合と森林組合連合会が協同して、吉野の森と水を守る「吉野共生プロジェクト」に取り組んでいて、この活動に関わった職員や組合員の方たちの意識が大きく変化しているという取組みが注目されています。

只木 そのプロジェクトを通して、循環型社会へのシフトを考えていただけたら、とてもうれしいですね。

 というのは、自然界においては「物質の循環」がとても大切で、森は、自分が生みだしたものを自分で消費・分解還元していて、そういう循環を自分のなかでおこなえば世界は永続するんだということを、われわれに教えているのです。

 ですから、われわれは、足りないものはよそから持ってきて消費すればいいという石油依存型・消費型社会をやめて、循環型社会へと大きく舵を切り直すべき時期なのだということを、森から学ばねばならないと思います。

上掛 只木さんのご本には、「森を知れば人間の将来が見えてくる」という言葉もあります。

只木 わたしは森林生態学が専門ですから、ものを考えるときは循環論を基本にするのですが、先ほど申し上げた「物質の循環」は第一次産業である農林漁業と密接に関わっています。ですから、やはりこれらの産業を社会のベースにしないままでいると、人間社会はまもなく滅びるのではないかと思うのです。

 協同組合についてあまり認識のないわたしが申し上げるのも生意気な話ですが、この「物質の循環」をベースに置いて、いかに循環型社会にしていくかということを協同組合として考えていただけたらと思います。

上掛 生活協同組合は「学ぶ」ということを重視していますが、一人ひとりの生き方の問題と関わって、自然の循環のあり方も考えられるような「深い学習」が大切なのですね。
 森林についての学びを通じて、そういう生活文化が育てば、たしかにサスティナブルな社会に変えることができるように思えます。本日は、ありがとうございました。


写真撮影・有田知行


プロフィール:只木 良也(ただき よしや)
1933年京都市生まれ。
1956年京都大学農学部卒業、1961年同大学院農学研究科修了。
専門は、造林学、森林生態学、森林雑学。

農林省林業試験場勤務、信州大学理学部教授、名古屋大学農学部教授、プレック研究所生態研究センター長を経て、現在、名古屋大学名誉教授、京都府立林業大学校校長、国民森林会議会長/農学博士。

国や地方自治体の委員を歴任、長野五輪や愛知万博の誘致にも専門家の立場で関わる。
NHK教育テレビ市民大学講座などメディア出演も。
【おもな著作】
『新版 森と人間の文化史』NHKブックス NHK出版(2010)
『森の文化史』講談社学術文庫  講談社(2004)
『ことわざの生態学―森・人・環境考』丸善ブックス 丸善(1997)
『森林環境科学』朝倉書店(1996)
『森林はなぜ必要か』小峰書店(1992)