「京都の生協」No.92 2017年4月発行 今号の目次

「ことばの壁」を越えて、被爆者の声を世界に届ける
── "ノーモア・ヒバクシャ"を国際的な世論とするために ──

 核のない世界を求める運動は、「ことばの壁」を乗り越えるという点で十分に対応してきたのだろうか―。長谷邦彦さんは、こうした問いかけを胸に、被爆者の証言を多言語に翻訳する活動を開始しました。世界各地の人びとに、それぞれの母語で被爆者の声を届け、新しい国際世論をつくろうとする試みは、同時に他者理解を深める活動でもあり、そのなかで、ことばや国の違いを超えて真摯(しんし)に対話しようとする若者が育ちつつあります。


京都府生活協同組合連合会 会長理事
(京都府立大学公共政策学部教授)

上掛 利博

被爆者証言の世界化ネットワーク(NET-GTAS)代表
京都外国語大学 国際言語平和研究所 客員研究員

長谷邦彦(ながたに くにひこ)さん

  被爆者の願いを世界の人びとと共有するために

上掛 わたしは昨夏、『いしぶみ~広島二中一年生全滅の記録』(広島テレビ放送、ポプラ社刊)をもとに制作された映画「いしぶみ」(是枝裕和監督)を観ましたが、強く印象に残っています。広島上空で原爆が炸裂した1945年8月6日の朝、真下で建物疎開の作業にあたろうとしていた広島二中の生徒たちが命を奪われたなか、偶然にも生き残った方たちがおられて、そのことに自責の念を抱いて、とても苦しみながら戦後を生きてこられた。この映画で、広島出身の綾瀬はるかさんが語り部となって朗読するのを聞きながら、深く考えさせられました。

そうした被爆者の方がたの言葉を、長谷さんたちはさまざまな言語に翻訳して、世界に発信されています。このことの持つ重要さに、わたしは気がつきませんでした。

長谷 おっしゃるとおり、被爆者の方がたは、自分だけが生き残ってしまったことに苦しみ、葛藤を抱えながらも、「生き残ったかぎりは、無残にも殺されていったみんなの思いを後世に伝えなければいけない。自分以外のだれが、この役割を果たせるのか」という思いから、凄惨をきわめた日々の「記憶」を「記録」として残そうと努力されています。

しかし、それを日本語で語っているだけでは、原爆放射線の非人道的な実相を、地球上の70億の人びとにあまねく伝えることはできません。「核のない世界」を実現するためには国際的な世論形成が必須であり、そのために、被爆者の証言ビデオにできるだけ多言語で字幕を付けて、世界中の人びとに母語で事実を知ってほしい。そう願って立ち上げたのが、「被爆者証言の世界化ネットワーク」(略称:NET-GTAS、呼称:ねっと・じーたす)という組織です。

  「言語を通して世界の平和を」という建学の精神を有する大学で

上掛 いつから活動を始められたのですか。

長谷 いまから3年前の2014年1月です。その10年前の2004年から、わたしは「Pax Mundi per Linguas―言語を通して世界の平和を―」との建学の精神を持つ京都外国語大学(以下:京都外大)で教えるようになりまして、この建学の精神を具体化するために、「現代社会研究ゼミ」という授業で被爆者証言ビデオの制作に取り組みました。

そして、せっかく外国語大学なのだからこのビデオに多言語の字幕を付けてインターネットで公開しようということになり、学生たちは、京都市在住の被爆者で、生協でも活躍されている花垣ルミさんに取材をして、それを10分ほどの映像に編集し、英語・中国語・イタリア語の3言語の字幕を付けて、You Tubeにアップロードしました。

これが出発点となり、2012年に国際連合軍縮部から京都外大に、「国連として被爆者の声を多言語に翻訳して、軍縮教育の一環として世界に広める取組みを始めたい。ついては、アメリカ大陸在住の12人の被爆者の映像の字幕翻訳に協力してほしい」と依頼があったのです。大学は、「まさに建学の精神と合致する話だから」と快諾。結局、7言語の翻訳を京都外大で担当しました。

この翻訳作業については、ネイティブの先生も含めて、たいへん多くの人が苦労してかかわってくださって、その方がたから「この作業は1回きりでいいのか。自分たちで継続的に翻訳作業をおこなうボランティア団体を立ち上げよう」という声があがりました。そこで、わたし自身、この活動に専念したいと考え、2013年に大学を退職して準備作業に入り、翌14年にNET-GTASを設立することができたという次第です。

  大学の支援があってこそ

上掛 長谷さんは、京都外国語大学の国際言語平和研究所、客員研究員という肩書もお持ちですが、この研究所とNET-GTASはどのような関係にあるのですか。

長谷 研究所は、NET-GTASをプロジェクトのひとつに位置づけて、研究費を出しながら育てていくというスタンスで、設立当初から見守ってくださっています。その予算があったからこそ、わたしたちも活動を開始できたわけで、研究所はNET-GTASの生みの親です。本当に感謝しています。

上掛 大学としても支援されているのですね。そうすると、メンバーは京都外大の方たち中心ですか。

長谷 いいえ、そもそも準備会の段階から横浜国立大学と筑波大学の教員が参加していましたし、いまも他大学で教えている人や翻訳家、NPO関係者、学生などがメンバーです。それに、大学教員は海外の学会に出たときなどに宣伝してくれますので、他の国の人からも「一緒にやりたい」という反応がけっこうあって、現在、アジアやヨーロッパ、アメリカ、オセアニアなども含めて約160人の会員がいます。

  被爆者が語ることの意味―加害の側面を覆い隠すことであってはならない

上掛 現在、翻訳はどれぐらいまで進んでいますか。

長谷 16人の被爆者の証言を、最多で10言語、少ない場合でも2言語に翻訳して、それぞれを字幕付きビデオにしてきました。これら合計76本のビデオは、インターネット上の広島・長崎両国立原爆死没者追悼平和祈念館の合同サイト「平和情報ネットワーク」(http://www.global-peace.go.jp)で視聴できます。

最初の年は、5人の被爆者のビデオを、英語・中国語・韓国朝鮮語・ドイツ語・フランス語の5言語に翻訳しましたが、その後メンバーが増えて、いまではイタリア語・ポルトガル語・スペイン語・スロベニア語・ロシア語など12言語での翻訳が進んでいます。

上掛 印象深い証言を教えてください。

長谷 天野文子さんという女性は、広島に原爆が投下された当時14歳。市郊外で勤労奉仕中でした。翌日、市中心部の自宅に向けて家族の安否を尋ねて歩き、入市被爆しました。兄は、大火傷を負って、寝たきりで敗戦を迎えるのですが、重体の兄に「戦争に負けた」とは言えず、「日本は勝ったよ」と言ってしまいました。それから間もなく、兄は「痛い」と、たったひとことつぶやいて息を引き取り、このことが天野さんの胸に残り続けます。

その後、彼女は歴史を学び、国が「戦争は国民を守るため、植民地を解放するため」と大うそをつき、旧日本軍がアジアの人びとにたいへんな苦痛を強いたことを知って、兄の「痛い」にアジアの人びとの「痛い」を重ね合わせながら、証言活動を始めていきます。兄にうそをついたことも含めて、贖罪(しょくざい)の旅を続けているのです。

天野さんは、マレーシアで「日本の平和憲法は、日本人だけのものでなく、わたしたちアジア人の犠牲の結果でもあるのだから大事にしてくれ」と言われたと語り、これにどう応えたらいいのだろうかと、逆に私たちに問いかけています。

つまり、「わたしたちは、自分の国が犯した誤りをアジアの人たちに率直に伝えなければならない。被爆者が語るということは、じつは加害者でもある日本が、『わたしたちは被害者なのだ』と言いつのって、加害者としての側面を覆い隠すことであってはならない」と言っているのです。

  核廃絶にむけた若い世代の試み

上掛 ドイツのボン大学やオーストリアのウィーン大学も翻訳に参加したり、さらには合同授業という手法を使ったりして、世界の人びとが「ことばの壁」や国境を越えて、核被害の実相を共有していく試みも始まっているようですね。

長谷 NET-GTASの活動は大学を拠点に始まりましたから、わたしたちは当初から「大学で証言翻訳の授業をやってほしい」という提起をしてきました。実際にいまは、現地の日本人の教員が、ご自分の授業で学生に教材として翻訳を指導され、それを監修した後、日本に送ってくださっています。

わたしたちは若い世代への垂直的な継承と、地球全体への水平的な継承という両面の課題を重視してきましたので、外国で学生の参加を得られていることは大きな喜びですし、そこから一歩進んで、合同授業で各国の学生を結ぶ取組みも始めたいと考えました。

なぜなら、若い世代に、他人事ではなく自分事として核の問題を受けとめてほしいからです。彼らは「自分たちはヒバクシャではない」と思っているかもしれませんが、核保有国による核実験が繰り返されてきたのですから、じつは地球全体がすでに被曝しています。ならば、核被害の実相を当事者として市民の声で表現し、新しい世論を形成していく作業が必要でしょう。

そこに直結するような教育をおこない、また、その教育を受けた学生たちが、日本で、世界各地で、立ち上がり、自分たちの学校を新しい発信の場としてつくり変えていく。そうした真にグローバルな視点と行動に結びつく平和教育を創造しなければいけないと思います。

  ことばの壁や国境を越えていく若者たち

上掛 テレビ会議システムを使って、京都外大とボン大学で合同授業をされたそうですが、やってみていかがでしたか。

長谷 ドイツの学生が「ぼくたちが被爆者の証言をドイツ語に翻訳し、インターネットで公開していることをどう思うか」と問いかけると、日本の学生は「ぜひとも世界に理解してほしい話なので、とてもありがたいと思う」と答えた後、「ドイツでは、被爆の問題を話し合うことがあるのか」と質問しました。すると、ドイツの学生が「ナチスの戦争責任については小学校のころから何度も授業を受けてきたが、原爆の問題はヒロシマ・ナガサキという地名と何十万人という被爆者の数を教わっただけだ。今回、証言ビデオを見て、涙がとまらなかった。とても大きな問題だということに初めて気づいた」と話してくれたのです。

そこから議論は、それぞれの国の平和教育が国策に縛られていることを明らかにし、そういう状況では国同士の和解は困難だということが、だれにも理解できるような展開になりました。

この授業は、加害と被害の関係や戦争の原因についてもっと学ぶ必要があるという気づきを、両大学の学生に与えたのではないかと思います。

  国際的な市民の声で、核兵器禁止条約の制定を

上掛 国連で核兵器禁止条約の制定をめざす会議や交渉がおこなわれますが、それに向けて被爆者の方たちが「ヒバクシャ国際署名」(※)を呼びかけておられます。核兵器の廃絶に向けて、非常に大事な取組みですね。

※ヒバクシャ国際署名(ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名)…「生きている間になんとしても核のない世界の実現を」の思いから平均年齢80歳を超えたヒロシマ・ナガサキの被爆者が始めた国際署名。核兵器禁止条約が議論されている国連総会に2020年まで毎年届けることにしている。


長谷 被爆者の多くは、「あのような狂気の兵器を、人類はいつまで持ち続け、増やすのか。自分たちが受けた苦しみや悲しみを、二度と他の人たちに味わわせたくない。わたしたちの生きている間に『核のない世界』をつくりたい」と切望しておられます。これに応える動きのひとつとして、2013年来、核兵器の非人道性をめぐる国際的な会議が重ねられ、ようやく国連の場で交渉会議がスタートすることになりました。

ただ、本当に残念なことに、唯一の戦争被爆国である日本はこの交渉開始に反対しました。ご存じのように、日本はアメリカの「核の傘」の下にありますし、「核を持てば、他国に対して強大な力を誇示でき、よそからの侵略を防げるだろう」と考えたり、「核抑止論」という名で、核兵器に依存した「平和」と称するものをつくりだそうと考える国も少なくありません。

こうした主張は、被爆者が抱えた悲劇の記憶や願いが認識されていないことの裏返しです。このような主張が多勢を占めているかぎり、核兵器を廃絶すべきものとして考える根拠は生まれないのです。核に依存する世界から脱け出すには、被爆者の声を最大限に伝え、広げて、日本のみならず国際的なレベルで世論を変えていく必要があります。

そう考えますと、これまでの平和運動は、そうした国際世論づくりのための実務的な活動が足りなかったのではないでしょうか。「もう二度と、あの生き地獄を出現させないために、核兵器を廃絶しよう」という主張が、共感をもって広がっていくためには、当事者である被爆者の証言をもっともっと大事にしなければいけないだろうと思います。

被爆者の平均年齢は80歳を超えています。「生きている間に、なんとしても核のない世界の実現を」という願いに本気で応えようと思えば、国連での交渉会議も、まさに被爆された方の遺体がずらりと並んでいるところで議論するぐらいの覚悟が求められるでしょうし、いまは国際世論の力でそういう状況をつくりだせるかどうかの瀬戸際だと思います。

  暴力のない世界づくりに向けて、真の対話を

上掛 協同組合は、その出発から「学ぶ」ということを重視してきた組織です。これから「ヒバクシャ国際署名」の運動を進めるうえでも、単に署名を集めるだけでなく、平和について多様な観点から学び考えることが大切だと思っています。

長谷 まさにそのとおりですね。世論が変わらなければ核兵器をなくすことはできませんので、市民が学び、市民の声として表現していく工夫をしながら、新しい世論を形成していく取組みが必要です。

上掛 協同組合に対して、どんなことを期待されますか。

長谷 わたしの家族は、ずっと生活協同組合とつながっていますし、わたし自身も新聞記者時代には京都支局に勤務したことがありまして、そのころは一組合員として利用もしました(笑)。

生協は、消費者としての市民とつながっていて、とても重要なネットワークだと思います。さまざまな矛盾を抱える現代資本主義社会のもとで、人びとの意識も変化していますので、生協組織は、その変化を受けとめ、踏ん張るべきところは踏ん張り、変えるべきところは変えていく。その意味では、まさに「実務」という表現にふさわしい努力をこれからも続けてほしいですね。

政治的な課題については、アレルギーもあるかもしれませんが、市民が協力し合って、自分と自分の家族の平安だけでなく、地域の平和や暴力のない世界をつくりあげるために、協同組合として新しい提案をしていただければと思います。

上掛 真の平和は暴力のない世界を築くことであり、そのためには「対話」ということを欠かすことはできないと考えます。NET-GTASの、世界に向けて被爆者の証言を広めていく取組みは、まさに対話の土台をつくるものであり、それがあって本当の平和構築につながるということがわかりました。ありがとうございました。


写真撮影・有田知行


NET-GTASのブログ
http://www.kufs.ac.jp/blog/department/net-gtas/

プロフィール:長谷 邦彦 (ながたに くにひこ)

1933年京都市生まれ。 1943年、東京都生まれ。
1967年、東京大学文学部社会学科卒業。
1968年、毎日新聞社入社。大阪社会部記者、広島支局記者、京都支局次長、大阪学芸部長、大阪メディア事業本部長、大阪制作局長など経て、2003年定年退職。
2004年、京都外国語大学教授(メディア論、平和学)。
2013年、同大学国際言語平和研究所客員研究員。現在に至る。
2014年、「被爆者証言の世界化ネットワーク(NET-GTAS)」設立、代表就任。
【おもな著作】
「原爆25年」(毎日新聞社・共著)
「『毎日』の3世紀」(毎日新聞社・共著)
「平和を創る発想術」(岩波書店・共著)